四国びと


木をとりまくコトづくりのバトンゾーン

熊谷有記さん 山一木材・KITOKURAS http://www.yamaichi-mokuzai.com

 香川県丸亀市、春には桃の花が咲きほこる里山に、こだわりの材木屋「山一木材」があります。「ほんまもんの木の良さを一般の方々にも知ってもらいたい」、そんな想いでカフェやSHOPを併設した「KITOKURAS」をオープン。東京や大阪でデザインディレクターとして働いてきた熊谷有記さんが、後継ぎとしてこの場所を育てていこうとされています。
―学生の頃から県外に出ていた熊谷さんが、家業の材木屋を継ぐ覚悟で戻ってこられたわけですが、学生の頃はどんな勉強をしていたのですか? 熊谷さん ―京都の大学で社会学を勉強していました。商店街の研究です。高校生の頃から「どうやったら実家の仕事をしなくてすむかな。」と思っていたので、なるべくものづくりに接しないようにしようと。でも、卒業するときに改めて考えると、やっぱりものづくりに興味があったんです。商店街の研究でどんなにソフトを考えたところで、実際に形にしていくときの知識がなく、最後のハードを決められない。そんなジレンマがあったので、もう一回勉強しようと思ってデザインの専門学校に行きました。
―そして、就職を。 熊谷さん ―家具や身の回りのことに興味がわいて、木の文化を大切にしている会社、飛騨高山にあるオークヴィレッジに入社しました。その後、東京と大阪でクリエイティブディレクターという職をいただいて、端材を使ったり日本の伝統技術を使ったものづくりに携わるお仕事についていました。

 


―大阪と東京を拠点に働きつつ、実家に帰ろうと思うようになったのは? 熊谷さん ―きっかけは、木を扱うデザインの仕事でした。「熊谷さんの実家、材木屋さんなんでしょ?」と言われて。木は難しすぎて私には無理だと思っていたのですが、いざ扱ってみるととても楽しかったんですね。「なに、この素材!」と、どんどんのめり込むようになりました。
  一方で、地方の地場産業のお手伝いをしていると、どの現場にも「後継者がいない」という声があったんです。「一番手伝わないといけないところがすぐ近くにあった!」ということに気がついて、「興味がでてきた木もあるし、やらない手はない。」と、実家に帰ることを考えるようになりました。
  木を媒体にしながら、いろいろな人とつながっていけるかもしれない。香川でやっているから香川だけで仕事をするのではなく、ひょっとしたら日本全国、世界の人達とネットワークをつないでやると、いろいろな人に伝わりやすいんじゃないかと。
―実家といえども帰ってくる場所は山一木材。男の世界ですよね、普通に考えると。「私やります」と言ってしまったのは、すごいことだと思いますが。 熊谷さん

―ガッツいりますよね。私もそれだからやりたくなかったんですよね。男社会なので、女がやってもなめられると思っていました。「木ひとつ運べないじゃないか。」と言われたらそれまでですからね。
  でも、変な自信で「できる」と思ったんです。その人達にできないことをやればいい。ここに足りていないことを私がお手伝いすればいいんだと。クリエイティブディレクターとしていろいろなものづくりの現場にふれてきた経験が活かせるような気がしました。


―材木屋のビジネスそのものは、どんな状況にあるのでしょうか? 熊谷さん ―良くはないと思います。筋肉注射のように、すぐに大きな売上を出す方法はあるかもしれませんが、それをやっても10年後に同じ方法でできるかというと、できないだろうと思うんですね。やっぱり、木そのもののことや暮らし方を提案していかないと。学校のように。
  本当におこがましいですが、教育だと思うんです。職人さんも一般の人も、「家を建てるんだったら、木の家を建てるんだったら、こんな素材がいいね。」と、ちゃんと言えるような道筋をつくっていきたい。それは、昨日つくって今日できるというものではなく、KITOKURASのようなところで地道にカフェやイベントをやることを通して「木はいいね」というぐらいから入ってもらう。そこからちょっとずつ、ちょっとずつ・・・。工場だけで「木はいいですよ」と、どんなに言ったところで伝わらないでしょう。
  「木の家を建てたい」と言うお客さんを、大工さんや工務店さんにつないでいけるような流れもつくりたいと思っています。そういったとき、設計士のような人たちの力がとても必要になってくるでしょうね。 ―KITOKURASは山一木材と物理的にも道を挟んで離れていて名前も違うわけですが、あえて違いを出そうとしているのでしょうか? 熊谷さん ―ん~そうですね・・・。例えば、単純に私が「コーヒーを飲みに行こう」、「雑貨を買いに行こう」と思ったとき、「山一木材にコーヒー飲みに行こうよ」とは言わんなぁ・・・と。
  カフェは「訪れる人の間口を広くしたい」というところから始まった事業ですが、そういった肌で感じる感覚は大事にしとかないかんな、と思ったのが一つ。
  あと、最初からできるかどうかは別として「材木を販売する会社」という見え方とはちょっと違う、「暮らし方を提案する会社」という見え方にしていきたいと思ったのが一つですね。
―クリエイティブディレクターのような働きは、山一木材だけでなく地方において、もっと必用とされるべき仕事ではないかと思います。熊谷さんの場合、家業があったうえにそういった要素を足せるという土壌があったと思いますが、そういった人が、地方においてつながっていける要素はあると思えますか? 熊谷さん

―あると思います。例えば、イベントをやろうとして、ものづくりをしている人達が集まったりする。「もう少しそれぞれが引き立つような見せ方ができるやろうな。」と横から見ている私がいるということは、そういう仕事はあるということですよ。この辺をうろうろしていると、美味しいものも、綺麗なものもすごくたくさんあるけれど、みんな知らない。そういったものの伝え方など。
  仕事を依頼されてスタートするタイプの人だと難しいかもしれませんが、自分から仕事を探していくタイプの人だと、そこらじゅうにコロコロ仕事がいっぱい落ちていると思います。


―大阪、東京、香川とやってきて、ここでの良さなどはありますか? 熊谷さん ―大阪から東京に行ったときに感じたのは「東京は仕事が細分化されているなぁ。」ということです。大阪ではデザインディレクターといった存在があまりなく、あれもこれも全部自分でしなければなりませんでしたが、東京にはディレクターという存在があって、本当に細かく分かれてみんなで1つの仕事をやっていくんです。それはそれで、うまい化学反応が起こるものなんだなぁ、という実感がありました。大阪では、統一感のあるものがポコポコでてきては、「あ、この人がやったやつだ。」というのがとても分かりやすく見えてくる。
  香川についてはまだわからないですね。何がいいのかな、面白いのかな、というのがまだ掴みきれていません。
  なんやろ。でも、仕事は早いですね。こっちの人はみんな決定権をもっている人達なので。東京だと「確認しておきます。」と、1回電話をおかないといけませんが、こちらでは、朝に頼んだサンプルが夕方にはあがってきますからね。それはすごく面白いです。
  あと、コミュニティが小さいのでつながりがすぐにできますね。一長一短ですが。「なんとかさんとこの、なんとかさんやな。」。これはもう、うちのおじいちゃんとお父さんがつくって用意してくれていたものなんで、これをどうやっていかすか、というところが大事ですよね。 ―これからどんな会社にしていきたいですか? 熊谷さん ―子供に「大きくなったら何になりたい?」って聞いたら、サッカー選手やお花屋さんに並んで「材木屋さんになりたい!」って言ってもらえるようにしたいです。まず、働いている人がニコニコしている。来た人も、働いている人も楽しい。しかも分かりやすく。
  次の5年か10年くらいで、私が家をプロデュースできるようになりたいですね。プロデュースするために必要な組織、ソフトを整えていきたいです。
  ゆくゆくはどうでしょう。材木屋を続けていられるようにしたいです。形態が変わってもいいですが、できるだけ今やっていることを長く続けられるように。もちろん、時代時代に合わせていかないといけませんが、そのために、人が楽しく集まれる場所をつくっておく。木のことがよくわかったり、木のことを好きになれるような空間やソフトを整えていく、ということなんでしょうね。

 

掲載日:2011年10月18日 取材者:H・F
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