四国びと


「仕事をちょうだい」ではなく「一緒に事業を」

竹村利道さん ワークスみらい高知 

 高知市の中心商店街・帯屋町に、美味しいお茶の入れ方から教えてくれる、高知ブランド発信のお店としてオープンした「ひだまり小路 土佐茶カフェ」。福祉の世界から一転、このお店のオーナーとして、店舗設計・デザインからお客様に対するサービスまでとことんこだわり、市内に次々と繁盛店を開業している竹村利道さんにお話をうかがってきました。
-もともとは、福祉の世界にいらっしゃったそうですね。 竹村さん ―そうなんです。帯屋町は子どもの頃から馴染み深い場所でした。遊びに来たり、親と一緒に買い物したりと。その頃に、障がいを持った人の姿を度々見かけては、「彼らのために何かできることはないかな」と漠然と思っていましたね。中学時代に「24時間テレビ」を見たことがきっかけでしょうか。福祉の道を目指すようになり、駒澤大学文学部社会福祉科に進学しました。
 卒業後は、高知市内の病院でソーシャルワーカーとして勤務しましたが、退院した患者が社会に馴染めず数ヶ月もしないうちに再入院するという現実を目の当たりにして、「病院で医療を施しても、受け入れる地域に受け皿がないと意味がない。もっと地域のあり方を考えてみたい。」と、3年間勤めた病院を辞めて、高知市社会福祉協議会に転職しました。
―福祉の道に進んだ竹村さんが、なぜ商売を始めたのですか? 竹村さん ―高知市社会福祉協議会では、障害者福祉センターでソーシャルワーカーとして働いていましたが、そこでは「かわいそうな障がい者のために何かをしてあげる」という目線での福祉のあり方にぶつかりましたね。ティッシュや割り箸の袋詰めなど、「この程度の仕事しかできないだろう」という固定観念だけで障がい者に与えられる作業内容。それを「時給50~100円の賃金でも仕方ない」と言う障がい者。葛藤していましたね。そういった現実の中で、障がい者や彼らの家族から先生と慕われて、毎月高い給料を受け取っている自分の存在に…。葛藤と憤りを抱えながらも、安泰な場所に居続けている自分に矛盾を感じていましたが、気がつくと15年が経ち、ようやく2004年に退職しました。
 自分自身がきちんと働いて、障がいのある人と一緒にご飯が食べられるようになるまでがんばらないといけないというところに身を置くべきじゃないかと思い、退職後は、すでに始めていたNPO法人ワークスみらい高知の活動に本腰を入れながら、並行して、有限会社を設立し、障がい者の就労支援のためにカフェなどの経営を始めました。 ―商売の厳しさを知ったんですね。 竹村さん ―甘かったですね。「うまい話はない、世の中は甘くない。」ということを思い知らされました。譲渡された事業が聞いていた内容と異なっていたり、広報や営業活動をおろそかにして業績が不調になっても、当初スタッフに宣言した給料を払い続けたりして、1年も経たないうちに貯金も底をつきました。手元に残ったのは借金だけ。結局、有限会社を整理して、NPO法人一本で再出発することになりました。
―失敗しても、諦めなかったのはなぜですか? 竹村さん ―諦めなかったのは、障がい者にちゃんとした働き口と賃金を提供したいという理念があったからです。「重要な失敗をしたので、これを糧にするしかない。」と自分に言い聞かせ、親に借金をして、新たにお弁当屋さんを始めました。前回の反省を生かして、事業は少しずつでしたが着実に伸びていきました。ただ、ガムシャラに働くしかなかったし、やるしかなかったですね。
―過去の失敗から学んだことや、何か意識して取り組んでいることはありますか? 竹村さん ―「障がい者や福祉を謳い文句や言い訳にしないこと」、「障がい者に理解がある福祉関係者や知人を避け、一般の人をターゲットにすることで品質やサービスに緊張感を保つこと」、「現場のスタッフには福祉関係者を配置しないこと」を強く意識していました。
 障がい者や福祉を掲げることで、一般のお客さんに先入観を与えてしまって、サービスや品質が低くても「障がいを持っている人だから」と甘く判断されてしまう。でも、サービスや品質がちゃんとしていれば、後で障がい者が働いていると知っても、お客さんはちゃんと受け入れてくれるんです。福祉関係者は優しいけど知識がある分、「こういった作業はできないだろう」と障がい者の可能性を摘んでしまいがち。知人が頻繁に来店することで障がい者に甘えが出てしまうことを避けたかったのもあります。
  実際、うどん打ちは無理だろうと周囲から思われていた障がい者が、熱心に作業を繰り返すうちに技術を習得して、今では系列店に出荷している麺を作っていますよ。
 あとは「障がい者スタッフの時給を高知県の最低賃金以上にすること」ですね。障がい者は自分の仕事が正当に評価され、それに見合った賃金を受け取ることで、仕事に対するやる気が上がっていくんです。休みの日に量販店で買い物をしている姿を見た時は、「きちんとお金が回っているんだな」と、とても嬉しかったですね。 ―開業する店舗はいずれも繁盛店となっていますが、何か秘訣はあるんですか? 竹村さん ―おかげさまで、お弁当とケーキ屋さん「m's kitchen」からスタートして、小さなカフェレストラン「m's place」、惣菜・うどん工場併設店舗「m's factory」、スウィーツ製造工場併設カフェ「STRAWBERRY FIELDS」、和カフェ「さくらさく。」、そして地産地消カフェ「ひだまり小路 土佐茶カフェ」と、今では6店舗の売上が5億円を超えるようになりました。


 定期的なメニューの更新や、安くてボリュームのあるモーニングセットを朝から閉店まで出したり、並んで待っている方にはお茶や膝掛け、雑誌のサービスをするなど、すべて自分が日ごろ消費者として感じていた不満への解答や理想をここで体現してきただけです。お店として一般のお客さんに選ばれるようになったことが一番嬉しいですね。

―福祉とビジネスは違うんですね。 竹村さん ―今までの福祉というのは、企業に対して「仕事をちょうだい」というスタンスでした。これだとティッシュの袋詰めなど、内職レベルの仕事しかもらえない。ではなくて、「一緒に仕事を生み出しませんか」となって、はじめてビジネスが生まれる。恩恵や慈善ではない、双方にメリットのあるビジネスを構築することがこれからは必要なんです。
  挨拶ができない、遅刻・無断欠勤、接客や調理にそぐわない不衛生な身なりなどは、障がいの有無に関係なく、ビジネスの世界では通用しません。ここで障がい者であることを理由に許しを請うのは単なる甘えなんです。だから、障がい者スタッフには基本的な生活態度を徹底的に教え込んでいます。企業は決して障がい者の就労支援に冷たいわけではなく、基本的な生活態度の備わっている障がい者にはチャンスを与えてくれる。問題はむしろ、一般就労を果たすこと自体が就労支援のゴールだと勘違いされて、一般就労後に定着して働き続けるためのバックアップ体制が薄い点にある。一般就労後の障がい者と受け入れ企業双方へのフォローには、今後も力を注いでいきたいですね。 ―障がい者は何人ぐらい働いてるんですか? 竹村さん ―現在、同グループでは約100人の障がい者が就労しています。ここでの就業を経て、ホテルやドラッグストアなどの一般企業に就職する障がい者も毎年10人以上います。一般企業1社が10人の障がい者を無理に雇用しなくてもいいんです。1社が1人雇用する、それが100社に広がると100人の雇用が生まれるじゃないですか。そういった社会になれば、私たちのような事業所はいらなくなるんです。
  また、就労訓練に至るまでには当分時間のかかりそうな利用者のために職業訓練施設「就労支援センター みらい」を立ち上げ、障がい者や養護学校の卒業生を受け入れて研修を行っています。
―「藁工ミュージアム」というアートスポットが高知市郊外にできると聞きましたが。 竹村さん ―12月23日にオープン予定の「藁工ミュージアム」の立ち上げに携わっています。高知市の中心を流れる江の口川の畔に、土佐漆喰の白壁が美しい藁工倉庫。「わら」を貯蔵するために作られた倉庫を改修し「Art Zone 藁工倉庫」としてリノベーションするプロジェクトが動いています。  美術館「藁工ミュージアム」を中心に、多目的シアター「蛸蔵」や、食を楽しむ「土佐バル」のほか、既存のギャラリー、カフェ、美容室、写真館など、県内の人も県外の人も楽しむことができるコンテンツが溢れています。「高知の新しい文化、観光のスポットにしていきたい!」そして、その空間に障がいのある人がナチュラルに存在して、共に生きることがアタリマエに感じられる場所となれば。

―今後の取組みについて。 竹村さん ―福祉を意識するきっかけとなった帯屋町に土佐茶カフェをオープンし、自分自身の原点とも言える場所に帰ってきた。そして、障がいを持った人がこの町の風景に違和感なく溶け込める。そういう社会を目指して、みなさんのお力にもなれるように、これからも頑張っていきたいですね。


掲載日:2011年12月13日 取材者:H・Y
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