地場にこだわる6次産業化のメリット。
過疎地域からの挑戦!
嶋崎裕也さん 株式会社アースエイド http://earthaid.co.jp/

高知県のほぼ中央に位置する須崎市は、ご当地キャラの「しんじょう君」でも有名な、日本で最後にニホンカワウソが確認された清流、新荘川(しんじょうがわ)が流れる海と山に囲まれた自然豊かな地域として、また、ご当地グルメの「鍋焼きラーメン」発祥の地として全国的にも知られています。
その山間の過疎地域に移住し、有機栽培による葉にんにくを使用した酢と味噌の合わせ調味料である高知県南西部の伝統料理「ぬた」の商品開発で起業し、今や6次産業化のモデル事業として、国内はもとより世界中を駆け巡り、ホンモノの味にこだわりながら、人との出会いを楽しみ、日々奔走されている株式会社アースエイド代表取締役社長 嶋崎裕也さんにお話を伺いました。

-子供の頃の嶋崎さんはどんな性格でしたか。 嶋崎さん 高知県の生まれですが、兵庫県淡路市で育ちました。子供の頃から機械いじりや車が大好きで、高校の時にはカーレースのTVゲーム用コントローラーを、ハンドルからアクセルペダルやシートまで、部品を買い集めて運転席をまるごと組み立てていましたね。何でもやりきらないと気が済まない性格で、目標や計画を立てて、これをやり遂げるにはこういう段取りでどれくらいの日数がかかるから、いつまでに何をやって・・と、先の先まで考える性分でした。
7歳の頃には、将来は車の評論家か開発者かレーサーになると決意し、自動車のテストドライバーに憧れてからは、高校や大学の進路も早い段階から決めていましたね。高校では生徒会活動や物理部の部長をやったり、大学では自動車同好会を立ち上げ、レーシングスクールにも通ったりと、すべては夢の実現に向けて、経験と知恵を積み重ねるべく活発に動いていたと思います。

-そして、夢を実現し憧れの自動車のテストドライバーになったんですよね。 嶋崎さん 卒業後は、自動車メーカーに開発エンジニアとして就職し、憧れのテストドライバーにも抜擢されて、仕事は順調でした。でも、何か物足りなさを感じる自分がいました。目をかけてもらっていた上司から社運をかけた次世代エンジンの開発部門に責任者として異動してもらいたいと言われたんです。この頃から、このままでいいのかと、仕事に対するジレンマもありました。母が亡くなり、一人っ子だったので、父の健康や今後のことも気になっていたんだと思います。

-そこで起業を考えたというわけですね。
なぜ「ぬた」で起業を考えたんですか。それも過疎地域での起業はたいへんですよね。 嶋崎さん 父親の実家だった須崎市の祖父母の家で、「葉にんにくのぬた」を食べたときに、あまりの美味しさに感動したんです。こんなに旨い食べ物があったのかと。高知と沖縄の一部でしか食文化がなく、葉にんにくをすり潰して酢や味噌を和えて調味したもので、刺身につけて食べる郷土料理ですが、冬の旬の時期にしか食べられないと知ってがっかり。それでも食べたくて、いろいろとお店を探し回ったんです。でも、あるのは緑色に着色した、味も香りも全く違うものばかりで。
これを年中いつでも食べられるようにできないものか、全国に誇れる郷土の味を何とか伝えられないのか、ホンモノの味にこだわればビジネスチャンスもあるのではと、なんか血が騒いだんでしょうね、「これだっ」と。家族のためにも、この土地で始められる事業を考えていたんだと思います。

-起業を考えてから、まずは何から始めたんですか。 2007年には起業を決意し、会社に勤めながら準備を進めました。でも当時の須崎市は、インターネットの回線や携帯電話の通信インフラの整備が遅れていて、過疎地域であるこの地で起業するには課題がありました。2012年になってやっとインフラが整備されたんですが、その間も時間を無駄にしたくなかったので、大阪産業創造館のビジネススクールに通いながら、ビジネスのスキルを学びつつ、青森から九州まで全国の葉にんにく農家や専門機関を訪ね歩いたり、食品に関するセミナーや学会等にも参加して、栽培の知識を深めていったんです。全国や中国、台湾からも葉にんにくの苗を18種類ほど取り寄せて、いろいろと条件を変えながら、納得がいくまで試作を繰り返し、この土地の栽培に最適な品種と条件を見つけました。
農業の経験も道具もなく困っていると、地域の人が助けてくれたんです。トラクターを使って耕作放棄地を耕してくれたり、今でも農機具はほとんど借りています。

-「ぬた」づくりをするために、なぜ自社での有機栽培にこだわったんですか。 嶋崎さん 原料となる葉にんにくの生産農家がそもそも地域には少なかったので、まとまった量が手に入らなかったんです。また、大きさや種類がまちまちで、商品のクオリティコントロールが難しかったんです。だったら自分で栽培するしかないと決意しました。
最初は、近所の農家の方々に教わりながら農薬や化学肥料を使っていましたが、もともと自生していた強い植物なので、本来あるべき姿を考えれば余計なことをしない方がよいのではと、無農薬栽培の実験を繰り返して、農薬散布は、雑草対策として畝と通路を完全に「防草シート」で覆うことで解決し、2013年12月には有機JASの認定も受けることができました。土壌の微生物も殺さずに、有機堆肥100パーセントの土作りで栽培。病害対策では繁殖倍率の高いにんにく種を採用し、殺菌剤等で過保護にせず自然本来の生き残った優良個体のみ、食材として採用しています。

-食品加工や冷凍技術も独学なんですか。 嶋崎さん 商品開発のイメージはできていたので、必要な知識や技術は、ほぼ独学で習得しました。やる気があれば何でもできます。空いた時間は国立国会図書館で文献や資料等を借りて読み漁ったり、全国にある大手食品・飲料メーカーの工場見学をして専門的・技術的なことから生産管理まで、必要なことはトコトン学んで行きました。全てはホンモノの商品を提供するため。自分自身が食品加工の最新技術や情報も知らずしてホンモノの最高のものづくりなんてできないですから。
須崎市に戻ってからは、自分のビジネスモデルに落とし込みながら、トライアル・アンド・エラーを繰り返し、県の工業技術センターにも協力してもらい、独自の加工・冷凍技術を開発していったんです。

-栽培方法や加工・冷凍技術以外にこだわっていることはありますか。 嶋崎さん 葉にんにくは酸化すると風味が損なわれ変色もします。「覆水盆に返らず」と言われるように、いくら高度な機械を使って加工しても、一度失った鮮度は戻ってこない。だからこそ鮮度が一番大切なんです。収穫は冬の気温が0℃前後になる早朝に行い、車で5分以内に加工場に運び、すぐにペースト状にして急速冷凍します。密閉しても表面は酸化するので、加工時には酸化した表面部分は削り取ります。混ぜ合わせる酢や味噌も冷やしたものを使用するなど、鮮度への徹底したこだわりがあるからこそ、色鮮やかな緑色で風味豊かな食感とホンモノの味に仕上がるのです。
地方で6次産業化をする一番のメリットは、この高い鮮度保持にあると思います。地場でとれたものの鮮度をいかに高い段階で旨味まで封じ込めることができるか、ここに地場にこだわって加工するメリットがあるんです。



-葉にんにくがよく育つのは、この土地の地形とも何か関係しているんですか。 嶋崎さん 高知の西側は水がいいといわれています。それ以外に、北は山脈続きで、とにかく空気の透明度が高く、紫外線が強いので、ここで育った食物は抗酸化成分をたくさん作り、ポリフェノールが増えやすい環境だそうです。葉にんにくの旬は冬場ですが、須崎市は冬場の湿度が低いので、紫外線も強いことになります。農家さんの腕もあるとは思いますが、野菜そのものが高機能になりやすいといった環境要因もあるのではと思っています。


-葉にんにくの青果も販売しているんですか。 嶋崎さん 加工品をメインと考えていましたが、高知県貿易協会の紹介で、人気テレビ番組「料理の鉄人」で人気を博した陳建一さんがオーナーを務めるお店で葉にんにくの青果が採用されたんです。有機栽培の葉にんにくは全国的にも珍しく、原材料である葉にんにくの品質にこだわってきたからこその成果だと思います。加工品への相乗効果もあり、これをきっかけに葉にんにくの魅力を広く全国に知ってもらい、自分がやっている事業が少しでも高知県の農業技術の底上げに繋がればうれしいです。


-海外への取り組みなど、今後の展開は? 嶋崎さん 活動を通じてたくさんの人と出会うことができました。海外の展示会も先輩方のサポートがあって、出展に繋がっています。海外への取り組みは、これからも積極的にやっていきたいです。高知独特の食文化を国内外のより多くの人に知ってもらいたいし、プロモーション戦略としても効果があると思っています。地方は、物流コストの面でハンデがあるので、同じものを作っていたらとても勝てません。ニッチにならざるを得ないし、商品価値をあげ、効率的に宣伝効果をあげていくことが必要なんです。
今後の展開としては、にんにくを熟した黒にんにくの商品化を検討中です。葉にんにくの6次産業化で耕作放棄地を減らし、地域に新たな雇用を生み出す産業にいつしか育てていきたいと考えています。

掲載日:2016年3月3日 取材者:Y・H