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インタビュー

就労支援を組み合わせた自動車ディーラーの挑戦
株式会社日産サティオ徳島 代表取締役社長
株式会社Ponte 代表取締役社長
藤村 泰之 氏

──日産サティオ徳島の設立経緯や事業承継のきっかけをお聞かせください。
祖父が創業し、私で4代目となります。3人兄弟の次男なので、自身が継ぐという自覚はなく、祖父からも「お前は好きに生きろよ」とずっと言われていました。ただ、子供の頃から経営者が身近な存在だったので、家業を継ぐかは別として、経営者になるという意識は自然にあったのだと思います。
祖父の言葉もあり、私は東京の大学に進学し、そのまま東京でITの仕事に就きました。しかし、社会人2年目のタイミングで突然「戻ってこい」と言われ驚いた記憶があります。東京での仕事もこれからというところだったので、1年くらいは断り続けていたのですが、誰かがやらないと、という思いから戻ってくることを決めました。
──家業に入られてからは、どのように経営に携わっていったのでしょうか。
関連会社への研修出向を経て、取締役として戻りました。仕事としては課長の立場で、販売促進、お客様満足度の向上、自動車保険、整備の統括、営業の統括に取り組みました。
社長になるきっかけは、私が35歳、父が65歳、会社が50周年という、すごくキリが良いタイミングがあり、そこに向けて準備を進め、実際にその通り承継しました。年齢としては比較的若かったので、苦労した部分もありますが、その後様々な挑戦ができたので、早期に承継して良かったと思っています。
──若い経営者ほど、新たな事業展開に取り組まれている印象があります。
当時はこんなに若い社長では無理という声もありました。完成された組織の大企業という形であれば、50代の方が社長に就任するのも良いと思いますが、中小企業は若い経営者が色々試行錯誤していく方が良いと思います。
──経営者としてのご苦労はありましたか?
ありとあらゆる失敗をしました。承継後2年間くらい、焦りや不安をそのまま仕事や人にぶつけてしまうこともありました。会社として安定感が揺らぐ中で、その理由は何なんだと色々と勉強してみると、いかに自分が空回っていたかに気づきました。このままではダメだと若いうちに立ち止まり、方針転換できたのは大きかったと思います。
──どのように学ばれたのでしょうか。
内省したことと、中小企業家同友会、あとは盛和塾です。盛和塾自体は元々入っていたのですが、今思えば、稲盛塾長の誰にも負けない熱意や燃える闘魂という言葉の意味を誤解したまま突き進んでいました。根底には深い愛情があって、なおかつロマンがあるものでしたが、私には愛情もロマンもなく、ただ不安だったのです。
──35歳の段階で、そこまで悟りを得られていたら苦労はしないですよね。
方針転換してからは、組織として少しずつ安定してきましたね。社員満足度調査などの数字も着実に上がってきて、様々な賞を取れるようになってきました。最近は、社員が「定年まで勤め上げたい、社長についていきたい」と言ってくれています。
──次に、株式会社Ponte設立のきっかけを教えてください。
家業の中古車販売をテコ入れしたことがきっかけです。営業スタッフの配置を進めていたのですが、車内外を綺麗に仕上げることに時間を要し、人員が確保できないという課題にぶつかりました。パートでは安定した人材確保が難しく、このままでは仕組みとして成立しないと感じました。そのときに、福祉事業所として自動車の中古部品をリビルドする会社に関わる株式会社アクティブの板東社長と出会い、中古車の商品化作業をA型事業所さんと取り組む形で検討を進めることになりました。最初は全然うまく行きませんでしたが、徐々に作業ができるようになり、今では皆が納得する商品ができています。
夏場暑い中や冬場寒い中で洗車や作業をするのは大変だと思いますが、障がい者の方々は、目の前の作業に集中し、楽しそうに取り組んでいます。作業自体もどんどん進化して、仕事がピタッとはまったら私も適わないほどです。障がいをもつ方の育成と活躍の場を展開したい想いがきっかけとなり、板東社長と一緒に障がい者就労継続支援事業を行うPonteを立ち上げました。

また、新たにグループホームを作る予定で、車屋とA型事業所、グループホーム、この異色の組み合わせで、我々はどこにもできない事業展開をやっていきたいと思います。
──この取組みの中で、日産サティオ徳島にも何か影響はありましたか?
日産サティオ徳島のミッション・ビジョン・バリューのうちのバリューは、「私達は自分らしくありのままに人生を輝かせ続けます」としており、多様性を1つ目に挙げています。私がこの考え方に至った心境の変化には、Ponteが大きく影響しています。
効率性重視で社員をサティオという型にはめようとした当時は、とてもしんどかったです。他方、Ponteでは、障がい者福祉の指導員って、みんな何かができない前提で、その中で何ができるのだろうと考えながら人を配置していくことを知りました。そこから、個性を重視するようになりましたね。

──心情の変化は、どのように経営方針へ反映されているのでしょうか。
私自身が自分らしさを否定していました。理想的な社長になろうとして、私個人の理想を全部捨てていたのです。周りにもその理想の考え方を押しつけて、結構嫌な上司だったと思います。それが今は、個性やその人らしさを発揮することが大事だと思うようになり、それを社員に伝えるようにしています。
今日同席している社員の近藤さんは、2023年11月に徳島市長とパネルディスカッションしましたが、近藤さんの経験や自分らしさの発揮されていました。
(近藤さん)ずっと営業職をしていましたが、女性が今までやってこなかった道というので、社長が切り拓いてくれました。メディア対応や発信を強化しています。
──会社自体が変わってきているという実感はありますか。
(近藤さん)働いてワクワクする、将来色々なことできる職場だと感じます。私は採用もやっていますが、学生さんたちにもそうした部分をお伝えしています。
──家業としても大きなターニングポイントを迎えられているのだと思います。
もう大転換中です。普通ビジョンって1個の絵を書くと思うので、我々のビジョンは取っ散らかっているようにも見えますが、皆にとってのビジョンが組みあがってきているように感じています。

──ご自身の経験を踏まえて、承継直後の方や、悩まれている後継者の方に対して何かアドバイスはありますか。
自分の最大の転機は、経営指針書を作成したことです。私は中小企業家同友会でこれを作っていて、今が4冊目ですが、自分の言葉で理念を語る必要があります。
後継者は、元々創業者が作ったビジョンのもとでスタートしているため、自分なりのビジョンは社員と一緒に作っていくことになります。私の場合は社長になってから今のビジョンになるまで7年試行錯誤しました。創業から受け継がれてきた家訓や経営理念は大事にしなければならないけれども、自分の言葉でビジョンを作る必要があります。綺麗な言葉でなくていいので、自分の言葉で理念を話せるようになることが大事だと思います。
また、自分の最大の失敗は、1人で頑張ろうとしていた事です。責任感を履き違えて、自分1人で何かをやらないといけない、成し遂げないといけないということに強くこだわっていました。結果として、周りに助けを求められなかったり、できないことをできないと認められなかったり、肩肘張ってやっていたんです。そうすると変なスイッチが入って、自分だけ頑張って、なんで他は頑張らないんだ、となってしまいます。社員というのは、誰よりも社長を支えてくれる存在であって、決して対立する相手ではありません。それも含めてきちんと会社のビジョンに描いていくことが必要だと思います。
──若くして家業を承継され、チャレンジを続けた先に、企業も地域も牽引する経営者となられたお姿を感じることができました。
企業データ
社名 | 株式会社日産サティオ徳島 |
ウェブサイト | https://ns-tokushima.nissan-dealer.jp/ |
所在地 | 徳島県徳島市応神町古川字日の上8番地 |
設立 | 1966年7月 |
代表者 | 藤村 泰之氏 |
事業内容 | 日産自動車の販売、中古車の販売、カーライフの提案及び整備・修理等の技術提供、 保険代理店・移動電話及びJAF代理店販売等 |
社名 | 株式会社Ponte |
ウェブサイト | https://ponte-act.jp/ |
所在地 | 徳島県徳島市応神町古川字戎子野78-6 メゾンエルヴェ101号室 |
設立 | 2022年1月 |
代表者 | 藤村 泰之氏 |
事業内容 | 障がい者就労支援事業 |
令和6年6月12日掲載 ※掲載の内容は、令和6年6月12日時点のものです。
担当課
地域経済部 新事業推進課産業部 中小企業課