全国に誇る紙産業の集積地であるこの四国に、「紙のことならこの人たちに聞けば大丈夫」と言われている人たちがいます。それは、藤原勝壽さん、林幸男さん、田村元男さんの『67歳同級生トリオ』。経済産業省が実施している「地域競争力強化事業(四国地域次世代紙関連産業創出促進事業)」においてもお力添えいただいているみなさんにお話をうかがってきました。
-まず、自己紹介をお願いします。
藤原さん

-私は約30年間にわたって、現在の愛媛県産業技術研究所紙産業技術センターで仕事をしてきました。その間、紙産業界などから多くのいろいろな要望に対応しましたが、定年退職するときに、やり残したことがあったんですよ。業界の強い要望のなかでも2つのことを。「紙産業人材の育成」と「情報収集・発信機能を持つような四国紙産業の振興拠点の形成」です。今はそれに力を入れて取り組んでいます。特に、将来の紙産業を担う人材育成の方は、「中核人材育成講座」や「初任者人材養成講座」の開講、「愛媛大学大学院修士課程紙産業特別コース」の創設も実現できまして、業界関係者からも評価をいただいているところです。
林さん

-私は高知県立紙産業技術センターで38年間紙に携わりましたが、定年退職したときに藤原さんと一緒に人材育成事業に関わりまして、引き続き紙業界の支援をすることになりました。「企業活動の応援をしたい」という思いもあったので、四国地域の産業支援機関のコーディネーターとしていろいろと支援活動をやっています。
田村さん

-私は以前リンテック(株)に勤めていまして、定年退職するまで加工紙の開発を始めいろいろな部署を経験しました。定年退職になったときに、私も藤原さんから「人材育成事業を一緒にやらないか」という話があって、それ以来お手伝いをしています。その後、愛媛県紙産業技術センターからも嘱託研究員の声が掛かり、今は研究員として依頼試験の対応や技術応援にも携わっています。
-皆さんはいつからお知り合いだったのですか?
藤原さん
-実は、田村さんとは同じ大学で、学部は違うけれども同じ講義を受けたりしていて、そのときからかれこれ45年ほどの知り合いです。林さんとは高知と愛媛の紙産業センター同士というつながりがあり、国の大型共同研究プロジェクトで一緒になるなど、旧知の仲でした。
人材育成事業を始めるときにこの3人でチームを組んだのは、愛媛だけでなく四国地域大の紙産業人材育成を目指すことから、高知から林さんに参画してもらい、また、企業で実際に役立つ人材育成を実施するためにはどのような講座にするべきかを教えてもらうために、企業出身の田村さんに協力をお願いしたんです。
田村さん
-企業勤めのときには、仕事の関係で紙産業センターに行くことがあったので、藤原さんとは常に交流はありました。でも、林さんとは人材育成事業のときが初めてだったんです。
林さん
-田村さんはそのときまで全然知らなかったけれど、すぐに仲良くなりました。30年くらい前から知っていたような不思議な感じがしましたね。みんな67歳で同じ歳だからかな(笑)。
田村さん
-私も林さんとは初対面のときから何の遠慮もいらなかった。最初から気兼ねなくどんどん接してくれたので(笑)。
「中核人材育成講座」の様子
-お三方とも四国の紙産業のために汗を流すのがまるでライフワークのようですが、頑張る気持ちも同じなんでしょうね。
林さん
-多分、3人とも紙に長い間付き合ったので、共通して「紙が好き」ということが第一の頑張れる理由だと思います。それと「紙にお返しをしないといけない」という意識があるからだと思います。
田村さん
-本当に紙にはお世話になったんでね。
林さん
-それより何より仕事を続けていくうえで、3人仲が良いのでやりやすいんですよ。藤原さんはまじめですけど、田村さんと私は勢い余って余計なことをしたり突っ走ったりするので、藤原さんがまとめ役(笑)。でもこの性格の違いといいますか、3人で役割分担がうまくできているからなのか、なぜか波長が合ってまとまっているんですよね。
藤原さん
-この2人がいると賑やかなことになって私の仕事が進まないんですよ(笑)。とは言いつつも、田村さんは情報の分析がうまいし、林さんは親分肌で営業がうまい。この3人はお互い長所を熟知しているから、協力すれば結局はうまくいきます。
田村さん
-林さんは発想が豊かだし、性格も元公務員に思えないような感じ。経営者タイプですよね。
林さん
-確かによく元公務員に見えないと言われます。私は元気の良い感じでやりたいようにやって、藤原さんにきちんとまとめてもらって(笑)。そういえば、「昔は侍のような公務員がいたけど、今は見なくなったなぁ」というような話も聞きますよ。
-プライベートでも仲がよろしいんですか?
林さん
-そうですね。愛媛で飲み会があって高知の家に帰れなくなって、田村さんのお家に泊まったことがありますよ。
藤原さん
-私もそのときついでに泊まりました。家が近いのに。
林さん
-次の日、朝ご飯もごちそうになって帰りました。
田村さん
-(笑)
-みなさんのこれまでの経験のなかで、紙の世界に入って良かったと思うことや心に残ることをお聞かせください。
藤原さん
-最初に旧製紙試験場(今の紙産業技術センター)に配属されたのですが、ひょんなときに木製の書棚の中に素晴らしいものを見つけたんです。それは当時の化繊紙研究会(現NPO法人機能紙研究会)の会誌のバックナンバーの束でした。それを読み始めたら、思わずその場で座り込んでしまって、全部読んでしまいました。「ここでこんな素晴らしいことをしているのか!」と感動しました。それが、世界でも珍しい機能紙の学術団体である機能紙研究会と関わりを持つようになった最初の接点でした。
「第50回機能紙研究会」の様子

それ以来お世話をさせていただき、平成23年に研究会は50周年を迎えました。この研究会に携わってきたことが、紙の世界で頑張る心の支えになっているのではないかと思います。
林さん
-私は紙の世界に入ると思ってもいなかったんです。高知県に紙の試験場があることすら知らなかった。でも、配属された新人のころに企業回りをしていて、いろんな紙製品に出会えたことが楽しかったんです。「伝統的な和紙もある」、「最新の産業用紙もある」・・・という具合で。それ以来、紙の世界に引き込まれてこれまでやってきました。そのお陰で、いろんな仕事ができていろんな企業さんとも付き合いが生まれました。
企業さんのお手伝いをしているなかで、感謝されたり喜んでもらえることがあると、やっぱりとても嬉しいんです。それを味わいたいために頑張っているようなものです。
高知の紙製品例 (左は厚さ0.02mmの極薄紙。右は様々な機能を持つ生活製品など)
田村さん
-企業で工業用途の特殊紙の関係を手掛けていたころに、いろいろと調べていると、「紙がこんなところに使われているのか!」というような発見が多かったので、紙の可能性にますます興味を持ちました。新素材の開発では、飛行機のボディ部材など炭素繊維製品の製造で必要になる「炭素繊維工程紙」にも携わったのですが、目指すものにだんだん近づいていくことがとても面白かったです。あとは、いろいろな分野に使われるだけ、研究開発の関係では異業種の方たちと接点が持てたことでしょうか。用途開発だけでなく原材料関係の方とも付き合えましたので。いろいろな人と幅広く付き合えたことが良い経験になりました。
炭素繊維工程紙
-これからの仕事にかける思い、意気込みをお聞かせください。
藤原さん
-今、日本の産業は大変厳しい状況にありますが、四国の紙業界の役員会でも、これからどうやって生き残っていくべきか話をしています。しかし、経営者の方は何かしなければならないと分かっているけれど、具体的に今何をすべきかはっきり見えにくい様子です。そんななかで私ができることは、先ほど話した人材育成や振興拠点の構築だと思っています。
これらの取り組みは、即効性が無いですし明白に効果は見えにくいですが、持続的に行ってこそ意味があります。私たちは業界が将来も持続的に伸びていくことを目標に置いて、情熱を注いでいきたいと思っています。地道に少しずつ、ひとつひとつを行うことが大事だと思っています。
田村さん
-人材育成の仕事をやっているので、たくさんの優秀な若い人たちを育てていきたいと思っています。今の若い人は、分析力などは優れていますが、率先した強い意志を持つ人がちょっと少ない気がします。もっと自信を持って引っ張っていくタイプの若者が増えてもいいと思っています。
林さん
-藤原さんから、人材育成事業の関係では70歳までは頑張るように言われていますが、70歳超えても元気があるうちはやりたいと思っています。1人では解決が難しい課題に出くわしても、藤原さんと田村さんは信頼できるので遠慮無く話ができるし、相談すると気持ちも楽になるので、お互い支えていきながらやっていけています。私たちの次の世代のコーディネーターの育成があまり進んでいないことが気になっていますが、こんな3人が現れるといいなと思っています。
掲載日:2012年2月20日 取材者:S・S