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漁業を守る-1℃の挑戦

松本泰典さん 高知工科大学 ものづくり先端技術研究室
https://www.kochi-tech.ac.jp/rora/

松本泰典さん
 高知県にあるカツオの国、中土佐町が掲げたスローガン「全ては漁師が誇りをもって黒潮の群魚を追い続けるために 俺の子も 俺の孫も」。極上の魚で漁業を元気にするため、魚の鮮度を保持するシャーベット状の氷「スラリーアイス」の開発に成功した松本泰典先生にお話をうかがってきました。
刺身 ―「日刊工業新聞社モノづくり連携大賞」の受賞おめでとうございました。 松本さん ―本学の産官学連携の窓口である社会連携部長から「このような賞があるので応募してはいかがですか」と言われ、これまでの取り組みをまとめる気持ちで応募しました。まさか大賞を受賞できるなんて思ってもいなかったので、連絡を受けた時は、思わず絶叫してしまいました(笑)。 ―このプロジェクトは経済産業省の助成制度も活用されていましたが、何が評価されたと思いますか? 松本さん ―日刊工業新聞社さんに聞いてみると、「産学の役割が明確だったこと」、「研究内容が市場を見据えていたこと」、「事業化に成功したこと」、「この技術を生かして凍結濃縮という次の研究を考えていること」、このようなことが評価されたということでした。この賞の評価項目にうまく合致したのだと思いますよ。 高知工科大学の様子 ―ご謙遜されますが、まさにものづくりの本質では? 松本さん ―開発した機械は脇役だと思っています。自動販売機でジュースを買う時、のどが渇いたから買うのであって、自動販売機が高機能だから買うわけではないですよね。機械は何かのニーズを満たす道具に過ぎないんですよね。 ―とても印象的な言葉ですね。ところで、松本さんは高知大学を卒業し、兼松エンジニアリングに入社され、高知工科大学に転職されていますが、もともと専門は何ですか? 松本さん ―専門は物理です。兼松エンジニアリングの吸引車などに、私の専門が生かせればと思い入社しましたが、高知工科大学の室戸海洋深層水の製塩に係る産学連携研究に興味を持ち、それが大学に在籍するきっかけとなりました。実は私、無類の魚好き釣り好きなんですよ。最初は製塩でしたが、製氷の開発をするようになって、製氷は大好きな魚をおいしくする研究ですよね。これは天職を見つけたと思いました(笑)。民間企業での研究開発は、その時の状況で開発よりも営業を優先しないといけないとか、シビアな現実に直面しました。産学連携では、「産」のそういった情勢でも、目標となる研究を「学」がカバーし進めることができると考えています。 松本泰典さん ―スラリーアイスについて聞かせてください。まず、この言葉は一般的な言葉ですか? 松本さん ―そうですね。学会では氷スラリーとも言われます。簡単にいうと、シャーベット状の氷のことです。 ―どういう機能があるのですか? 松本さん ―分かりやすいところでは、釣った魚を絞める時間が、氷水に比べて圧倒的に短いです。氷水は、表層は氷が浮かんでいて冷たいのですが、低層は少し温かくなります。それに対してスラリーアイスは均一に冷たくなります。また、私たちのスラリーアイスは、一粒0.2mm以下の非常に小さな氷ですから、普通の氷よりも魚に触れる表面積が大きく、冷却効率が高いのです。 スラリーアイス製造装置 ―スラリーアイス製造装置は、海外製が先行していますが、なぜ後発で参入しようと思ったのですか? 松本さん ―もともとは既存装置のコストダウンを図るつもりでした。それがある時、スラリーアイスの鮮度保持調査をしていた水産試験場の研究者が「濃いんだよなぁ・・」と魚の入ったスラリーアイスの水分を切っていたのです。またある時、「効き過ぎるんだよなぁ・・」と。それが私の中でつながりました。実は既存のスラリーアイスは塩分濃度が高くて温度が低すぎる、つまり魚が凍ってしまっていたのです。 ―それはすごい気づきでしたね。 松本さん ―まさに現場からの情報です。そこで、いろいろな魚の凍る温度を調べたところ。魚種によって多少違いはありますが、大体-1℃から-2℃でした。既存のスラリーアイスは-2℃だったので魚が凍ってしまっていたのです。目標は明確になりました。魚が凍らない-1℃のスラリーアイスを作ろうと。 スラリーアイス ―まさに―1℃が明暗を分けるわけですね。松本さんがコーディネートしながら産学官で研究されていますが、どんな経緯で泉井鐵工所と日新興業が集まったのですか? 松本さん ―もともと、泉井鐵工所さんは船の漁労機械を作っていて、日新興業さんは船の冷凍・冷蔵装置を作っていました。言わば、同じ船の上で共同してものづくりをしてきた会社で、両社はすでに親交がありました。また、ちょうど泉井鐵工所さんは、海だけではなく丘の市場に参入できる新規分野を探していたところで、この話に乗ってきたというわけです。この枠組みをつくってくれたのは、私の恩師の横川明先生です。 ―これまでご苦労もあったのではないですか? 松本さん ―事業化の段階に入った当初は全く売れなかったですね。スラリーアイスは魚が凍ってしまうという固定概念ができてしまっていて。何度も漁協などに出向き、スラリーアイスに入れた実際の魚を見せて歩きました。少しずつ分かってもらいながら、現在、全国で20台、スラリーアイス製造装置を販売できました。 松本泰典さん
  とはいっても、まだまだこれからです。漁業が元気な地域を思い浮かべてください。例えば、北海道のさんま、広島の牡蠣、鳥取のカニ、山口のアジ、これらは全て魚介のブランド化に成功している地域だと思いませんか。それに比べて、高知は良い素材を持っているのに、あまりブランドというものを扱い慣れていない。スラリーアイスの提案をすると、「電気代は誰が持つんや」「補助金くれるんか」とよく言われました。
  そんななかで中土佐町が手をあげてくれたんです。中土佐町は高知市から車で西に45分ほど走ったところにある、人口7,500人ほどの小さな町です。カツオの漁獲で有名ですが、この40年間で3割以上人口が減っています。今日は、中土佐町役場の下元課長にも来ていただきました。 松本泰典さんと中土佐町役場 下元課長 下元さん ―一般的に言われているとおり、漁業の現状は非常に厳しいですね。このままでは「そういえば中土佐町は昔漁業が盛んだったね」と過去の話になってしまう。それは故郷がなくなるようなものです。 -特に高齢化問題ですか? 松本さん ―想像してください。ある地域の漁師の年収は500万円くらいと聞きました。そこでは、若い漁師がやりがいをもって働いています。一方、この付近の漁師の年収が200万円程度だったとしたら、若い人が出ていくのは当たり前ですよね。 中土佐町の風景 下元さん ―これから私たちには二つの戦いが待っています。一つは、漁師というのは魚を捕ってなんぼの世界、言わば数の世界ですね。しかし、これからは価値を高める方向に変わっていかないといけない。漁師の本能、DNAとの戦いですよ。もう一つは、商売の原則は「安く仕入れて高く売る」ことですよね。でも漁業を振興するということは、「高く仕入れて高く売る」ことなのです。商いの原則とも戦っていかないといけません。いずれにしても、現在は漁師が心意気で協力してくれています。今後、漁師に利益が返る仕組みをつくり、10年後、20年後も「鰹漁師がいる町」につなげていきたいです。 松本泰典さんと中土佐町役場 下元課長 ―非常に難しい課題ですね。 下元さん ―ここ数年が勝負だと思っています。魚はやっぱり刺身が一番ですよ。次は焼いて、その次は煮てという順番です。中土佐町の新鮮な魚、極上の一切れを価値あるものとして届けたい。なんとか都市圏の一流シェフに認められる食材に、またそれを漁獲している中土佐町が認知されるようにしていきたいです。 ―このような町の想いが、じょじょに成果を生み出しているのではないですか? 松本さん ―私は、もともと中土佐町の町民の意識、危機感は非常に高いと思っています。黒潮本陣の設立も、もともとはカツオの国と言いながらタタキを食べて泊まってもらうところが少ない、という発想が発端です。今でも客室稼働率も高く、雑誌の公共の宿ベスト3に入ることもあるほど有名な宿となりました。大正町市場も有名ですしね。 中土佐町「大正町市場」 中土佐町「大正町市場」 ―すばらしい資源がある中土佐町で、スラリーアイスをどう生かそうとしていますか? 松本さん ―中土佐町では、カツオ、メジカ(マルソウダカツオ)、ウルメイワシ、クロサバフグという4魚種を指定し、ブランド化を図ろうとしています。とくに、メジカってご存知ですか?実は高知県の漁獲高は全国一で44%のシェアを誇り、普段は、宗田節や出汁に使われる魚です。 中土佐町「大正町市場」 ―いわゆる、やや安価な魚ということでしょうかね。 松本さん ―このメジカ、取り引きの最安値はいくらだと思います?1本1円ですよ。漁師が300本釣ってきても300円ですよ。でも、これを鮮度が良いときに生で食べると実はむちゃくちゃおいしいんです!中土佐町ではカツオよりも高値で取り引きされることもあります。ただ、とても劣化が早い魚なので、一般的に刺身で食べられることはほとんどありません。しかし、漁獲直後にスラリーアイスで保存することができれば、刺身として流通させることができると考えています。 ―宗田節から極上の刺身への飛躍ですね。 松本さん ―格段に魚価は上がりますよね。何より本当においしいんです。今は氷水で保存したゴマさばと同程度の時間まで、鮮度落ちを抑えることができる目処がつきました。これは絶対に次のメイン食材になると思っています。 中土佐町パンフレット 中土佐町の様子 ―明確な目標をお持ちですね。 松本さん ―このプロジェクトがうまく進んだ要因は、目標がぶれなかったことにあると思います。とにかく魚の価値を上げたい、漁業を守りたい一心でした。それから人も良かったですね。 ―今日は、ものづくりにおけるキーワードをたくさんいただきました。最後に、今後の目標などをお聞かせいただけますか? 松本泰典さん 松本さん ―難しい質問ですが、簡単に言えば「地域を盛り上げていきたい」ということです。ただ、そもそも「地域ってなんだろう?」と思うんですよ。昔は農業、漁業などを営む集団がいわば必然的に地域となっていて・・・それは今の地域とは少し違うような気がするんです。それから、私の取り組みも、本当に一次産業を発展させるものなのか、それとも現状維持を図るものなのか、衰退を遅らせるだけのものなのか、正直、自問自答しますよ。中土佐町の漁業従事者の平均年齢は68歳です。この現実を見ると、簡単にこれが地域活性化なんて言えないです。ただ、思うのは外部の人間がいくら吠えてもダメですね。結局地元の方が考えて行動しないと何も進まないですから。私は中土佐町のように地域の人たちが変わろうとしている、行動を起こそうとしていることに対して、これからも、ものづくりで応えていきたいと思います。 中土佐町の様子


掲載日:2012年4月16日 取材者:M・M