やっぱり、夢があるから。
酒井直行さん ニューウェーブ http://himekyun.jp

平成22年8月に結成された愛媛県のご当地アイドル「ひめキュンフルーツ缶」。今では5人の少女たちが"西日本最強のご当地アイドル"と言われ、全国で活動を始めています。
高校卒業後、一度は家業の酒屋をついだものの、脚本家を目指して単身上京、脚本家業界に飛び込んで20年。順調な東京での生活ののち、地元愛媛に帰郷してご当地アイドルを生み出した酒井直行さんのお話をうかがってきました。



じゃあ、松山で何かしないと、というときに、松山サロンキティ(ライブハウス)の経営者である伊賀さんと会ったんです。その頃、彼は彼で、アイドルのプロデュースに対して興味はあって、僕は僕で、東京にいるときに、アイドルに強い芸能プロダクションと仕事をすることがよくあって、面白い世界だなぁっていう思いがあったりしたんです。それから、松山に帰ってから2年前の4月くらいに伊賀さんと食事している最中に、ほんとに2人同時に「アイドル作りたい!」って言ったんですね。それがきっかけでした。

最初は、役所関係ともなかなかうまく連携できませんでしたが、成功する姿を見せることで、半年後にはうまく連携できるようになりましたね。今回の映画(『へっぽこエスパーなごみ』)なんかも、愛媛県や松山市には、ほんとにお世話になっています。重要文化財なども、ロケで活用させてもらってるんですよ。




ちなみに、「へっぽこエスパーなごみ」は、彼女たちフルメンバーが主演する本格劇場映画です。愛媛のとある私立女子校に集った8人の転校生には、『超能力』が備わっていたけれど、ほとんど使いものにならないぐらいの『へっぽこ』な能力。そんな『へっぽこ』な能力しか持たない彼女たちが、それぞれの中途半端な能力を精一杯駆使して、未来に必ず起こると予言された殺人事件を未然に防ぐため、懸命に頑張っていく様をコメディータッチに描く青春映画になっています。こちらも、地域の協力を得ながら作り上げた作品です。



こうやって、懸命に頑張ってきてここまで来たのですが、最初は「ご当地アイドルなんて絶対うまくいかないよ」と言ってきた人もいましたしね。実際、僕らが立ち上げた時、全国でもうまくいっていたり、黒字経営できているところは実に少なかったんです。
そんなところで、初めは正直、地域活性化を大きく打ち出せる状況ではなかったんですが、商店街や専門学校がサポートしてくれて、それじゃあ、地域活性化を全面に出さなきゃいけないな・・・と。要するに、地域のみなさんに背中を押されはじめたんです。で、結果的にはそれが成功につながったと思います。



あと、彼女たちには、「感謝を大事にするように」と言っています。ファンがいること、いろんな面で応援してくれている人がいるから今があることは、僕も伊賀さんもいつも言っています。それから、過去の経験もあって「挨拶はしっかりと」ともよく言ってますね。
そして、「挨拶だけでなく、シナリオも大切に」と。そんなところから「すべてに感謝する」心が生まれる。彼女たちがどこに行っても愛されている理由は、これらのことをいつも気にとめて活動しているからなんだと思います。

具体的な例を挙げると、あるときファンから、「東京からせっかく来ても、席が取れない」って苦情が来たんですよ。そこで、航空会社に「定期公演に5席確保するから"ひめキュンパック"を作ってくれない?」とお願いしてみました。そしたら、「やりましょう」って。航空会社としても土曜日のお昼過ぎの便なので、比較的余裕がある場合が多いんですよ。そして、提携しているホテルを安くしてもらったら、お客さんも安く滞在できる、席も確保できる、それが認知されれば、航空会社にとってもPRになりますよね。
僕はもともと商売人の子なんです。その商売人の論理の中にずっといるんですよね。だから、活動をサポートしてくれる方々には、具体的な数字を出すようにしています。それに加えて、「あなたにはこういうメリットがありますよ」というのを、とにかく具体的にわかりやすく説明しています。いくら「ひめキュンの応援を頑張ろうぜ」と言われても、具体的な数字や説明がなかったら、続かないですよね。みんな商売やっている人間なんで。

彼女たちが頑張っていられたりするのって、やっぱり夢があるからなんですね。愛媛で終わらないって夢が。東京は、あの子たちのパッション、情熱というものに対して後ろから火をつけるステージだと思っているので、そこって、やっぱり分かってあげないといけないんですね。行きっぱなしになってしまうとダメなんですよ。それじゃあ「ご当地アイドル」でなくなってしまうんで。今後もそこは常に意識してやっていきたいですね。
そして、映画「へっぽこエスパーなごみ!」をハリウッドに売り込みにいきたいとも考えています。

掲載日:2012年5月21日 取材者:A・K