対談 : 「四国」ってどんな場所?
大南信也さん グリーンバレー http://www.in-kamiyama.jp
真鍋康正さん 高松琴平電気鉄道 http://www.kotoden.co.jp
聞き手:成田浩司 四国経済産業局 総務企画部長
四国びとのものさしで見渡してみると、今までの価値観では見えなかった新しい四国の姿が見えてきました。「地域」「人」そして「未来」。3つのキーワードで、お2人の四国びとに、私たちが暮らす四国について聞いてみました。― 成田 まずは「地域」について、お2人が地域に関わるきっかけを教えてください。 大南さん 私の関わりは1990年ころから。戦前に日米親善の印として贈られた青い目の人形を米国へ里帰りさせようという国際交流の取り組みがきっかけでした。その後、県の国際文化村を神山に作ることになって、いずれ地元で管理するなら、最初から将来を見据えて関わろうと。
*本対談は、平成25年4月に発行した冊子「四国びとの素(もと)」に掲載したものです。
そこで年に一度アーティストインレジデンスをやって国内外のアーティストを神山に招くうちに、いろんなことが見え始めたんです。移住者を受け入れたり、サテライトオフィスを誘致したり、いろんなクリエイティブな人が集まることによって、地域が動き始めたと感じたのが4、5年前くらいですかね。
神山アーティスト・イン・レジデンス(KAIR)の作品
カリン・ヴァン・デ・モーレン(オランダ)「Moon dome」
地元の若いクリエイターたちと、修理工場の写真集を出したり、映画を撮ったり、現代サーカスを工場の中でやったり。あるいは電車の中でライブやお茶会、婚活パーティをやったり。電車や駅、工場の新しい価値を発見したいなと思って、いろいろやっています。
左上)ことでん仏生山工場で行われた「100年サーカス」
左下)レトロ車両を貸し切って行われた「パブトレイン」
右)香川県在住の写真家GABOMI によることでん仏生山工場の写真集
まずは5人くらいで成功体験を共有すること。
― 成田 お2人が、地域で何かを始める時に大切にしていることは? 大南さん まず同士を集めること。最初は5人位、同じ思いを持った人間を集めることです。そして、小さくてもいいので成功モデルを共有すること。例えば、あれやってみようと話した時に、自分しか知らないことは周りにも伝えづらい。こういう時に言葉で伝えられることはほとんどなくて、「とにかくええんよ」って言っても、「何が?」ってことになる。でもみんなが体験していたら、「あれな」って言ったら、「あれやろ」ってわかるわけですよ。まずは小さくてもいいから同じ成功体験を共有することが、物事の始まりというような気がしますね。海外のアーティストを迎えて地域住民との交流会
真鍋さん その同士はどうやって集めるんですか?大南さん 最初はノリですね。ちょっと面白いよな、こんな事できたら夢があるよなって。最初に人を動かすのは「楽しい」って思えるかどうかじゃないですか。
真鍋さん すばらしい(笑)。きっと土地としてのつながりがあるからでしょうね。逆に都会では、ノリで始めるのって意外と難しい。何をするにも予算は?スケジュールは?みたいになっちゃう。それって小さな地域の強みですよね。
― 成田 真鍋さんは、経営陣という立場から、組織の中で様々な新しい取り組みをされていますが、その際に心がけていることはありますか。 真鍋さん 鉄道会社は、基本的に安全を絶対的な使命としているんですよね。だから厳格なところがある。でも一般の人が鉄道に求めるものはむしろ快適さや便利さ、見た目のかわいらしさだったり、楽しい感じだったり。そういう普通の人の目線を、現場にフィードバックして、まちの人とコミュニケーションできるようにするのが私の役割かなと思っています。
大南さん ヨソ者の目線というのは、地域にとっても、会社にとっても、そこが一つの可能性の扉なんですよね。その風穴をどう開けて、そこから何を起こしていくか。例えば、神山では1999年から毎年アーティストインレジデンスをやっていますが、彼らにとっては不便だとか家が古いってことは問題じゃない。むしろ「ここで可能性を見つけるのがアーティストの役割だから、これは俺らに任せろよと」という感じ。地元ができることは、その人たちにやりたいことができる環境を提供すること。つまり場貸しビジネスですね。
ウチとソトの人を「つなぐ場」が重要
真鍋さん 今は一人ひとりが一つのメディアだと思うんです。たった一人でも面白いと思う人がいたら、ソーシャルメディアで、その周りからじわじわと情報は広がっていく。ピンポイントで情報を届けられるからこそ、誰に何を届けるかで結果が変わってくる。大南さん 今、四国中でいろんな形で情報発信が行われていますが、みんなに知ってもらおうという意識が強いと思うんですよ。でも、日本中の人が四国に来ても困るでしょ?本当は「みんな来て下さい」という場所には誰も来たくない。それは観光も移住も企業誘致も同じ。こういう人に来てほしいと意思を持って発信すれば、小さくてもビンビン響く。
真鍋さん 今は個人の情報収集能力が格段に上がっていますからね。そこで必要なのは、まんべんなくというより、むしろ情報の深さですね。
大南さん 例えば、移住希望者でなくても、地元の暮らしに観光として飛び込んでみたいという人は結構いるわけですよ。観光化された情報ではなく、もっと生活そのものの中に、まるで親戚みたいな気持ちで入っていけるような旅の在り方を求めている人が増えている。
真鍋さん 神山がまさにそうですね。
大南さん 四国はお遍路さんの影響も強いと思います。神山はちょうど遍路道沿いにあるので、私も小さい頃から旅の人には慣れていました。あれは焼山寺の場所がわからんようになっとるなと思ったら、こちらから「お困りですか?」って声をかけたり。お接待というだけじゃなくて、困っている人に手を貸すという素地が生活の中に刷り込まれているん ですね。これは四国の偉大な資産だと思いますね。
― 成田 インターネットの時代でも、結局は情報を発信するのは「人」。そのために、もっとこうしたらいいのにと思うことはありますか? 大南さん たぶんこれから必要になるのは、カフェやパブ機能。コーヒーやお酒を飲む場所という意味ではなくて、人の情報が得られる場所です。例えば、誰かが成田さんを神山に連れてきたとしたら、成田さんは、こういうことに興味があるから、この人に会っておいた方がいいよということで、きっと誰かが私の所に連れてきてくれると思うんです。でも、インターネットで調べたからといって、いきなり飛び込みで来られたら、さすがに困りますよね。そんな風に、地元の人と外の人を紹介してくれる人やつないでくれる場が重要になると思います。
真鍋さん 四国にはいろんな人がいますから、その情報は最大の資産になるでしょうね。
― 成田 一方では、外から見ると、四国はまだまだ印象が薄いと言われます。お2人が外の人を四国に招き入れる中で、そうした不満やギャップはありませんでしたか。 大南さん サテライトオフィスに来る人たちは、最初は、東京の生活に比べたら不便でしょって言うんです。でもそういう不便さは住めば慣れるもの。それよりも違う価値を見つけ出して、結果的にみんな元気になって東京へ帰っていくわけです。結局、来た人がその土地の魅力や価値を見つけていくんです。よく町の入り口に「日本一美しい町」って書くでしょ。あれはまち側の願望を押し売りしているだけ。でも訪れた人が自分で発見したものは、 帰った後もずっと持ち続けてくれる。あなたが見つけたものが最高の価値ですよと。そういう土地を四国は目指していけばいいのではと思いますね。
神山サテライトオフィス第1 号の「納屋オフィス」
真鍋さん モノが少なかったり、人が少なかったり、要するに何もないからこそ、自分の価値を見つけやすいとも言えます。例えば、自分がアーティストで作品を発表するとしたら、東京のギャラリーで見せるよりも、神山で発表することで、より作品が輝く可能性があると思うんです。大南さん 私は、旅っていうのは「光」を見に行くんじゃなくて、「自分」を見に行っていると思うんです。都会にいたら、自分のやってることがシャドーボクシングのようで、パンチが効いてるかどうかもわからない。だからやみくもにパンチを出して疲れてしまう。ところが、四国にいると、パンチの効き具合がよくわかる。
真鍋さん 思わぬところでカウンターが入ったり。小料理屋のおばちゃんから、「あんたニュースに出とったやないの」って言われたり、いつも行く食堂の定食が大盛りになってたり。都会では絶対にあり得ない(笑)。
まちの背骨を受け継ぐということ
― 成田 東京から見ると、四国のGDPは日本の3%、人口も3%弱、そんなふうにしか見えませんが、四国のものさしで見れば、もっと前向きな評価ができるし、未来へ向けてどう進めばいいかも見えてくるんだなあと実感できましたね。 大南さん 問題が多ければ多いほど、ある意味フロンティアな場所でもある。新しい価値創造の場になり得ると思えば、逆にワクワクしませんか。限界集落万歳!とは言わないけども、いろんなクリエイティブな人たちが過疎地をどう解釈するか、彼らがブレイクスルーを起こす中で、きっと大事なものが提供されると思うんです。― 成田 中国では、「危機」の字の中には、チャンスと言う文字が入っていると言われます。「危機」の機は、「機会」の機でもあると。 真鍋さん そういうものを解決するアイディアや知恵は、多様な人たちが出会うことでしか生まれないと思うんですね。高松に帰ってきて驚いたのは、いろんなジャンルの人が自由に出入りできる境界のないコミュニティが多いこと。まち自体が異業種交流の場所になっているんです。
大南さん 私なりに言い換えれば、これからは循環型のモデルが必要だということです。イタリアのある町でトラットリアに入ったとき、ウエイターは若いお父さんで、店の端では、子どもがお母さんと遊んでる。厨房では、いわゆるマンマが料理を作っていて、その横でお父さんの妹が料理を手伝っている。20年後、おそらくマンマはいないけど、きっとこのトラットリアは同じように続いているだろうなって、パッと見て世代の循環が見えるんですよね。でも今の四国にはその循環が見えない。循環という背骨が見えれば、今起こっていること一つ一つの意味も変わってくると思うんです。
真鍋さん その背骨は、受け継がれていく価値観がつくっていくということでしょうか?
大南さん その塩梅は、その土地に住んでいる人間が一番よく知っていると思います。たぶん真鍋さんは独特の感覚で高松の塩梅はわかっているでしょ。各々の地域が、自分たちの塩梅で背骨を作っていけば、自ずと個性が生まれ、多様性にもつながっていくでしょう。
トラットリア(大衆的なイタリア料理店)
― 成田 背骨を継承するとは、具体的にはどういうことだと思われますか?
真鍋さん まず、自分たちのまちの何が背骨かを話し合うことでしょうね。言わば、まちの記憶を受け継ぐこと。私の周りには、地域のお年寄りに折に触れて会う機会があって、昔の高松はこうやったとか、まちの歴史を聞く機会がすごく多いんです。そのままやるのではないけど、そういう話を知っておくのは大事だと思います。大南さん まちのDNAを引き継いでいく時、今までは血縁地縁の者で受け継いできたけれど、今後それが難しいなら、私は移住者にも加わってもらったらいいと思います。誰が残すかではなく、何を残すかにフォーカスすれば、おのずと大事なものが見えてくる。
― 成田 先ほどの話に戻ると、四国は小さいというデメリットが強調されがちだけど、小さいからこそのメリットもあると。 真鍋さん 何万人住んでいても、1人の人間が付き合える人数は限られていて、東京でも、高松でも、神山でも、たぶん同じくらいの規模感で、人って生きてるんだと思うんですよ。それが同世代、同業種に偏らずに、ばらけているところが、小さなまちの良いとこかなと思います。
― 成田 最後に、このような四国のものさしを、今後どう広げていったらいいと思いますか。 真鍋さん 私は特に若い世代と話す機会を作るようにしています。特に高校生くらいになると、日々接している情報源が違うので、こちらは伝えたつもりでも、全然伝わってなかったりする。やっぱりダイレクトに話をするのが大事ですね。
ことでん仏生山工場:今回対談が行われたのは、真鍋さんのホームグラウンドである「ことでん仏生山工場」。ふだんは車両修理工場だが、写真集が発売されたり、サーカスの会場になったり、地域との関わり方を模索することでんの新たなシンボルになりつつある。
大南さん 世の中は、関心のない人がいるから正常なんだと、逆に私自身は考えています。みんなが賛成してくれるようなことはたぶん面白くない(笑)。今すぐ変化が現れるというよりも、もっと大きな変化は自分が死んだ後に現れるくらいの気持ちなわけですよ。やり続けていれば、いつかは必ずいい状態になる。それを見られるか否かは問題にしない。これまでスローできたんだから、これからも四国らしいペースで取り組む方が、逆にいいものができる気がしますね。掲載日:2012年5月28日