愛媛県の南端にある愛南町。平成24年3月に、西予宇和ICから宇和島北IC間の高速道路が開通し、アクセスが向上したことに加え、観光振興イベント「えひめ南予いやし博2012」が開催され、多くのお客様で賑わっています。足摺宇和海国立公園に接するこの地域にとって、水産資源だけでなく、観光資源としても「海」は大きな財産です。いま、愛南町では、この千載一遇の機会に、魅力的な海をもっと身近に感じていただくために、シーウォーカー事業に取り組んでいます。シーウォーカーは、専用のヘルメットを被るだけで陸上と同じ呼吸で、海中散歩が体験できるマリンレジャーです。今回は、その事業のメンバーのなかの、大島さんと角田さんから、お二人の出会い、シーウォーカーの取り組み、そして地域に対する想いなどについて伺ってきました。
―シーウォーカー事業をはじめたきっかけは?
大島さん
―この地域をもっと輝かせたいという強い想いからですね。僕は、愛南町西海観光船の指定管理を行いながら、「観光事業は、まだまだこの地域を輝かせる材料になる」とずっと思っていました。そこで、観光船に加えて、何か新しいものをやりたいと考えていたときに、長年ここでスキューバダイビング事業をやっていた方から、「シーウォーカーというアイディアがあるよ」というお話をいただき、それに加えて、いま隣にいる若くて元気な角田くんと出会い、パートナーとなってくれたことが、シーウォーカーへの取り組みの後押しとなりました。
―角田さんとの出会いはいかがでしたか?
大島さん
―角田くんは、とても魅力的でしたよ。彼は、松山で生まれ育った人間で、いわゆる「よそ者」でした。でも、瞬時にこの町の魅力を理解したんです。この海のここがすばらしい、この町のここがいいって。しかも具体的に。そのうえで、「ここでチャレンジしたい」と言ってくれたんです。
―「よそ者」ですか?
大島さん
―僕は、この町をもっと輝かせるためのポイントのひとつが、いい意味での「よそ者」だと思っていました。僕を含め、地元の人は、この町が大好きだと思うんですが、この素晴らしさが、当たり前になっている場合が少なくないんですよね。ここの海がきれいなこと、ここの魚がうまいこと、カツオを生で刺身で食べられることも普通なんですよ。でも、「よそ者」は、それ自体が、すごいことだと感じるんです。そういう人間が、地域を輝かせる原動力になると信じていました。
―角田さんはどういう経緯で愛南町にいらっしゃったんですか?
角田さん
―愛媛大学農学部で水産社会学を専攻していました。3年生までは松山のキャンパスに通って、4年生になるときに、愛南町の愛媛大学南予水産研究センターに移り、ここで生活するうちに、愛南町に魅せられていきました。
―角田さんから「ここでチャレンジしたい」と聞いたとき、どう思われましたか?
大島さん
―彼にもいろいろ選択肢があったと思うんです。大学院まで残って、卒業後は夢も希望もある中で、この愛南町に残って、「僕と何かやりたい」と言ってくれたときには、そりゃ嬉しかったですよね。でも、彼の将来を真剣に考えたときに、それでほんとにいいのかと思いました。彼自身が、将来について、もっと深く掘り下げて考え、大きな夢を持っていないと、ちょっとしたことで彼が後悔することになるのではないかと。
―そこで彼に求めたのが、「起業家になれ」ということだったとお聞きしていますが。
大島さん
―最初は、「私のもとで働きたい」と言ってきました。でも、彼には事業を興すくらいの人になってもらいたかったんです。そこで選んだ道がLLP(※)でした。LLPのなかで、彼に個人事業を立ち上げさせたんです。それによって、彼自身も、責任感も目的意識もはっきりしていくのかなと。雇われたのでは、全部僕の下でやるという形がどうしても拭えないので。
※LLP:有限責任事業組合のこと。構成員全員が有限責任で、損益や権限の分配が自由に決めることができるなど内部自治が徹底し、構成員課税の適用を受けるという3つの特徴を兼ね備えている。
―そこまで期待する人であれば、自分の下で働いてもらいたいと思いませんでしたか。
大島さん
―彼、きっと僕以上にすごくなる人だと思ったんですね。だったら今のうちにパートナーとして育てて、僕よりすごくなってもらおうと。長い目で見たら、彼はそのくらいの器があると思ったんです。自分の右腕として働いてくれるなら、今頃、左うちわで遊んでいる余裕があったかもしれない。でもそうじゃない。彼には、苦しくても彼の道を歩んで欲しいと強く思いました。
―角田さんは、進路にあたって悩みませんでしたか?
角田さん
―悩みましたね。起業への想いもありましたが、それだけでは踏み切れません。起業は、自由度は高いけれど、責任もしんどさも大きいですから。まずは、一社会人として経験を積んでいきたいという考えもありました。いろいろな考えが頭の中を錯綜して、痩せてしまうほどの葛藤がありました。そこで、大島さんに相談したんです。
―角田さんから相談を受けて、大島さんはどうアドバイスされましたか?
大島さん
―彼が悩んでいたのは感じていました。僕は、自分なりの意見をずばっと言ったんです。「雇われるレベルでものを考えるな。自分で起業するくらい考えて、夢を追え」と。僕に命令されて動くような間柄では、彼の良さは出てこない。ほんとにやりたいんだったら、自分で起業するくらいの覚悟が必要だって。そうして彼は起業しましたが、いまも悩んでいると思いますよ。だからこそ、仲間として、必死にサポートしていくつもりです。
―大島さんに相談していかがでしたか?
角田さん
―かなり楽になりました。大島さんは、建前でなく、全部本音なんです。全力で受け止めて、全力で応えてくれるんです。今もいろんな悩みがあります。けれど、それは「これがやりたいのにできない」っていうものじゃなくて、「これやりたい、じゃあどうやったらいいのか」といった前に進んでいくための悩みです。だから、疲れはありますが、げっそりはしていません(笑)。一方で、シーウォーカーをはじめるにあたっては、僕も大島さんも、お客様来るかなという不安はありました。
-それでも踏み出そうと決めたきっかけは?
大島さん
―起業家としての直感ですね。感じるか、感じないか。自分の頭の中で、成功したときの姿が描けるかどうか。リスクを回避したいのはみんな同じですよね。でも、リスクをいかに成功に持っていくかが、自分にとって、一番おもしろいところです。リスクをみんなの力で乗り越えたときに、おもしろさが倍増するんです。確実に結果がわかっているのは安心かもしれないけれど、それ以上のおもしろさはないと思っています。
-角田さんの動きをみていると、起業して数ヶ月とは思えないですね。
大島さん
―僕は、彼らのような若い世代が育ってくれることが、楽しくてしょうがないんです。彼は、ちょうど僕の娘と同じ年で、「ああ親子関係か・・・」って思いながら見つめています(笑)。僕は、いままで必死に走ってきて、気がつくと、もうそんな年代になっているんですよね。驚きです。自分が年を取っているのを、すっかり忘れていました。
-改めて、シーウォーカーの手応えはいかがですか。
大島さん
―ある程度は、想定内ですね。というのも、当初から、挑戦するからには、大きな夢を描いていましたから。あくまで、シーウォーカーは、地域の観光資源のひとつなんです。これを契機に、海の事業がこんなにおもしろいということを、どうすればお客様にわかっていただけるかを地域一体となって考えていきたいと思っています。高速道路が延伸したチャンスを、地域全体で共有し、考え、みんなで"もの"にしていきたいなって。
-チャンスを"もの"にするためには、何が必要でしょうか。
大島さん
―地域の観光を、点から線へ、そして面へ展開していくことでしょうか。地域の観光って、ピンポイントでこれだけって言われても、なかなか満足はしていただけない。家族で楽しめるとか、もっといろんな人のニーズをつかみ、周遊できる観光モデルをつくっていかないと、その地域の産業にはならないと思うんです。そして、ここは、桟橋下りたら、すぐ珊瑚があります。しかも、安全に下りられます。そんなところが、愛媛県の南端、愛南町にあるんです。そして、自分たちは普通だって思っていたけど、いわゆる「よそ者」が素晴らしいと感じる、この海の豊かさを、僕たちを含め、地域の人が改めて認識し、守っていくことも大切なのかもしれないですね。
-体験されたお客様からの反応はいかがですか。
大島さん
-あるお客様からの、シーウォーカー終了後の一言が今でも忘れられません。「天国みたいやった、相当きれいやった、最高やった!」って。いろんな苦労が一気に吹き飛んだ瞬間でした。そのうれしそうな顔を見て、角田くんと目を合わせた瞬間に、「やったね!」って感じでした。今までがんばってきてよかったね。この一言で、今までの苦労が吹き飛んだねって。
-いまの夢をお聞かせ下さい。
大島さん
-この海、ほんとに素晴らしい海なんですよ。この素晴らしさを一人でも多くの人に知ってほしいし、楽しんでほしいし、体験してほしいですね。そのためにできることを、地域のみなさんと考えていきたいですね。そして、誰でもこの海をより近くで楽しめるようになったらいいなって思います。
-この海は、夕陽も印象的ですね。
大島さん
-僕ら、よく、この夕陽を眺めながらバーベキューするんです。水平線の彼方、九州の方向に沈んでいく夕陽を見て、「こんなええとこ、そうはないよな」って話しているんです。これでビール飲んだら、あと何がいるの?って感じですね(笑)。それをもっとリアルに、多くの人に伝えて、魅力ある地域にしていくサポートができたらと思っています。
掲載日:2012年8月28日 取材者:A・K