小豆島らしさで "もてなす"
真渡康之さん 島宿 真里 https://www.mari.co.jp

瀬戸内海に浮かぶ島、小豆島に醤油蔵が立ち並ぶ地域があり、醤油の香りが漂う通りを抜けると、そこには一軒の宿があります。「小豆島らしさ」を大切にしながら多くの人をもてなしている島宿 真里の店主、真渡康之さんにお話をうかがってきました。
-とても落ち着いた雰囲気の素敵な旅館ですね。 真渡さん ―ありがとうございます。この建物と離れの建物が国の登録有形文化財になっていて、古いものをいかしながらつくっています。母親の里のほうにあった梁や建具をつかったり、醤油蔵を解体するときにでた古材を頂いて使ったりしています。囲炉裏の椅子とか机も全部同じように、使える部材を頂いて高松で加工して様々な場所に使っています。もったいない精神でいきましょうと。 -もともとはお母様がやられていた民宿がはじまりと聞いていますが。 真渡さん ―はい、民宿をやってました。僕は2歳の時に父親を亡くしてまして、母親が食べていくために宿をはじめました。周りにお客さんがいる環境で育って、高校を卒業して縁あって調理師の修行をしました。その後、26歳で小豆島に帰ってきました。
身内からは「いつどうなってもいいように母親の近くにおれ」といわれて。それから20年以上も母親は元気ですけどね。修行を終えて、「これでいける」っていう気持ちはありました。26歳で帰ってきて、当時は母親1人だし宿はボロボロ。
実の姉にも「大きいことはやめてくれ。この島で宿屋では食べられんのやから、飲食店のこんまいので我慢してくれ」と言われて、そこから始めました。



醤油蔵の集まる醤の郷(ひしおのさと)にある島宿というのは、物語になりやすい。醤油の香りがして、そこを通り抜けると小さな宿があって、そこでは醤油にこだわったお料理でもてなしてくれる、という流れはここでしかできないことだと思っています。島の醤油屋さんがなかったら、うちはなりたたないんです。

強い子だけでなく、その1歩手前、2歩手前くらいの子でも帰ってこられるよう、いろんな角度から小豆島の魅力をつくっていきたいと思うんです。
-今後、島宿 真里はどういった方向に進んでいきたいとお考えでしょうか。 真渡さん ―小豆島の馬木という隣の地区と、醤油蔵が残るこのあたりは100年前後の建築物でも非常にしっかりしたものが残っているんです。その建物が空き家になっているものが結構あって、その魅力をもう一度輝かせて、そこで喜んでもらえるものを生み出せないかなと考えています。ここでビジネスとして成り立つものであれば、瀬戸内海の他の島々でも可能じゃないかなと。女木島・男木島・直島・豊島、各島々の建築様式や特色はあるし空き家になってしまっている建物もたくさんあります。そういう風なスタイルが仮に成り立てば、島々を繋ぐこともできます。世界中から来たお客さんが高松港でチェックインして、島々に船で向かう。船で渡って部屋に行くというようなイメージであれば、ものすごく魅力的ですよね。単独だと無理なことが島どうしで連携・協力することで、よりお客さんが喜んでもらえるような方法があると思うんです。

それから、お客さん同士で食事をする場所を共有してコミュニティをつくれないかと考えています。小豆島の地元のひとたちと、訪れた人たちのつながりがそこの場所でできると、計り知れない魅力がそこでつくれるんじゃないかと思うんです。一方で真里のほうは計れる魅力になっていくんですね。真里には、嫌いな人と一緒に来る人は誰もいなくて、一番来たい人と来るんです。真里での体験は、真里のもてなし以外の部分、つまりその人と過ごす時間はほぼ想定内のものなんですね。いまお話した新しいアイディアのほうは、その日にならないとわからんステージが毎日繰り広げられるわけです。建物は同じであっても、そこでの食事の時間の過ごし方とか、関わり方が日々かわっていく、そこに島の産業を入れていく。たとえば、醤油ソムリエの人がワークショップのようなものを開いてそこに興味のある方が集う。そこでは、オリーブであったり醤油であったりといった物語が地元の生産者を通して訪れた人たちと展開される。それはまだ仮の物語なんですけどね(笑)。

うちは宿泊業として10年になるんです。地元の人の多くは、両方は併用できないといってやめてしまいました。いろんな宿泊のスタイルをつくっていきながら、最終的には「人」ということになっていくんですよね。島の子に帰ってくる職業として選んでもらえるような企業になるのも僕らの使命。僕らがやるべきことのひとつとして考えています。人が育ちやすい環境にしていきたいなと思っています。

掲載日:2012年11月7日 取材者:S・Y