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山のふもとの干物屋さん

岸本賢治さん キシモト http://www.kishimoto-web.com

岸本賢治さん
 お年寄りに美味しく、安全な干物を食べていただきたい。こどもたちの魚離れを食い止めたい。その思いをカタチにするため、産学官で連携し研究を進め、「まるとっと」という骨まで食べられる干物を開発した株式会社キシモトの岸本賢治さんに、お話をうかがってきました。

愛媛県東温市の風景 -こちらの工場は山の中で、自然が豊かですね。 岸本さん - 会社のすぐ裏に、比較的大きな川が流れていて、その景色がとてもきれいなんですよ。清流の中に工場があるみたいな感覚ですね。そういう環境のもと、石鎚山の伏流水で干物を作っていることが、特に都会の方々には新鮮に映るようです。

-岸本さんは、はじめから干物屋さん勤務だったのでしょうか? 岸本さん - 最初はサラリーマンでした。私は、太平洋戦争が始まる1年前に松山で生まれ、商学部を卒業後、昭和38年に配合飼料会社に就職し、十数年間、横浜で勤務しました。東京丸の内の大手商社を毎日のように渡り歩いて、原料の買い付けをしていました。穀物を何千トン、何万トンと買い付ける仕事だったものですから、毎日為替レートをチェックするという、マーケットの最前線で働いていたような感じです。その一方で、おふくろが、「兄ちゃん(今の社長)が1人で難儀しとる、帰って手伝ってやれ」って、5年間くらい、何回も上京してくるんですよ。その当時は、うちは干物はやってなくて、シイタケなどの乾物を扱っている会社でした。まあ、絆というか、そういったもんもあって、思い切ってこっちへ帰ってきました。それから4,5年経って兄から、「乾物だけではこれから厳しい、海産物がええぞ、魚の方をやってみんか」という提案があり、干物をはじめることになったんです。といっても、知識も経験もない分野です。まずは、干物をつくるために乾燥機を買いました。でも、買ったはいいけど、魚を開けないんです。それで干物屋さんを紹介してもらって、1週間、干物とはなんぞやというところから、開き方まで教えてもらいました。

骨まで食べられる干物「まるとっと」 -東京での仕事とのギャップに対して葛藤はありませんでしたか? 岸本さん - 最初の1年くらいはありましたね。これまでスーツ着て、大手商社に通う日々。それが、おばちゃん相手に、「まいど」「今日はな、鰯(いわし)がうまいんで」とかゆうて。そういう商売に急に入ったわけです。特に初日、一軒目で、「おばちゃん、毎度!今日はどんな?」っていうセリフが最初に出た時には全身鳥肌が立ちました。こんな状況になったんやけど、ほんまにええんかいなって感じで。でも、やっぱり兄弟愛があったから越えられたと思っています。

岸本賢治さん -東京での仕事とは違う「やりがい」は何でしたか? 岸本さん - そうですね。やはりお客様からの声でしょうか。東京では、大きな歯車の中で、ある程度重要なポジションにいたんですけど、こちらの仕事では、そうではない部分、すなわち、人の食という大切なものを直接取り扱うので、「兄ちゃんうまいなこれ」って言葉がね、何物にも代え難かったです。自分が買って、自分が食して、「これはいい」と思うものを持って行って、それがリアルタイムで評価されるじゃないですか。一度その喜びを味わうと、そういう日々から逃げられなくなっちゃう。これはね、毎日ボーナスをもらうような感覚です。ボーナスもらうとうれしいじゃないですか。その感覚が毎日なんですよ。だから、いまでも、もっといいものを、みんな喜んでくれるものを探し続けています。そういう日々を過ごしてきた中で、今は、“世の中に貢献する”という言葉が不思議とスムーズに出るんですよ。

骨まで食べられる干物「まるとっと」 -魚についての知識のレベルを高めるために苦労されたのではないでしょうか。 岸本さん - 私は商学部卒ですから、魚については、全くの素人でした。ということもあり、愛媛県産業技術研究所の戸を叩いて、どうして干物がおいしいのかとか、干物はどうあるべきなのかということを考えながら知識を深めていきました。主任さんが、「キシモトさん、これはもう変わらんで」と言うまで研究に行きましたよ。探求心が強いんです。

岸本賢治さん -それほどの探求心の強さはどこから来たのでしょうか? 岸本さん - 危機感でしょうか。干物が認知され、少しずつ売れはじめて10年くらい経った時に、世の中で“魚離れ”という言葉が使われはじめました。でも、別に、実際にうちの売上げが減ったわけではありません。しかし、会社としては、絶えず一歩先を見る必要があります。「魚離れっていうのは、骨があるけん。骨を取って売る干物を作らんといかんな」と考えはじめました。そこから、干物から骨を取り除くことに取り組みはじめました。そのための設備投資も積極的に行いました。

工場の様子 -最初は、魚の骨を取っていたんですね。 岸本さん - そうなんです。様々な苦労を重ねながら、骨を取った干物を作り始めたところで、愛媛県産業技術研究所の研究員の方と聖カタリナ大学の介護福祉学部の方が来られて、「骨まで食べれるような干物が作りたい」との提案を受けました。皆さんが言うには、お年寄りからの、「魚はお頭の付いたものでないと。昔食べとった、若い頃食べとった干物が食べたい」との要望が強いとのことでした。しかし、お年寄りの世話をする側からすると、「お年寄りののどに骨が刺さったらいけない」ということで、食べさせることができない。この状況を打破できないかという話になって、産学官で開発をしようと思うんだけど加わってくれんかなって。

岸本賢治さん 工場の様子 東温市の風景   -骨を取ることとは逆の発想。「はい」となかなか言えなかったのではないですか? 岸本さん いや、反射的に「やろう」って言いましたね。 -「やろう」と言えた理由は何だと思いますか? 岸本さん - そうですね、「巡り合わせ」でしょうか。「巡り合わせ」ってほんとすごいもんやなと思います。そういうプロジェクトに際して白羽の矢を立てていただけるというのが嬉しかったですね。日本人が干物を少しずつ敬遠してきているのは事実なんで、このままだと、私どもは、衰退の一路をたどるわけです。それを何とか克服したいという思いは、常々頭のなかにあったんです。でも、具体的に何をすればよいかは分からなかったので、そのヒントがもらえたわけですから、「よっしゃ、やりましょ」ってなりました。これ逃したらいかんで、という動物的な勘でしたね。

岸本賢治さん -正直なところ、骨まで食べられるというのは、簡単ではないとは思うのですが。 岸本さん - 簡単ではありませんでした。私は、このプロジェクトが始まってから、通常業務はほとんどできなくなりました。会社の将来を賭けたといっても過言ではありません。1年のうち200日くらいは愛媛県産業技術研究所に行って、行かない日はこちらで準備。いろんな条件を変える、温度を変える、時間を変える、味付けを変える、といった実験の繰り返しですね。県内の高齢者施設等で試食を行いながら、意見や要望を伺い、商品として完成させて、平成23年夏にスーパーで販売をはじめました。商品名は「まるとっと」。「まるごと」と「とっと(方言で魚)」を組み合わせました。鯵、鯖、ホッケなどさまざまな魚を高温・高圧加工して、魚の形はそのままで骨まで柔らかくして、みりんやバジルなどオリジナルソースで味付けしました。骨まで食べられるので、通常の干物に比べてカルシウムの摂取量が約20倍というメリットもあります。
工場の様子 工場の様子
-相当な忍耐力ですね。 岸本さん - 本当に大変でしたが、ここまできたら引き返せないじゃないですか。今までは人の喜んでくれるものを作って売ってるんだ、だから、買ってくれた人が喜んでくれている、人の役に立っているんだ、と思っていました。でも、時代の流れのなかで、従来の干物だけの商売では、その感覚がじわじわと減少していく気がしていましたから。社会への貢献度がどんどん失われて行ってるわけじゃないですか。それは耐えられなかったですね。もっともっと人のために役に立つものを作っていきたいという強い願望が忍耐力につながったのかもしれませんね。

岸本賢治さん -お年寄りへの貢献に加えて、こどもたちの魚嫌い克服につながるといいですね。 岸本さん - そうですね。こどもたちの「魚離れ」が進んでいるのは、大人の食生活の変化も原因のひとつだと思っています。食生活の変化は、生活全般の変化でもあります。仕事をはじめ、多忙な日常生活では、食にかかる手間を省きたいと考えがちです。その時代の変化からみると、魚は最もマイナーな食べ物なのかもしれません。しかし、この、「まるとっと」は、調理が面倒、骨の心配があるといった魚の負のイメージを払拭することを可能にしました。魚離れの進む一般家庭の食卓で手軽に抵抗なく魚を食べていただけることが私の願いです。
- そこで、一つのきっかけとなっているのが「学校給食」です。最初は試験的に地元の給食で採用していただき、魚離れが進んでいる中でどんな結果が出るかとても不安だったのですが、ほとんど残す子がいないくらいの高い完食率でとても驚きました。いまは定期的に採用していただいています。これも一種の「食育」だなと考えています。少しでもこどもたちが魚に親しみを感じ、そして、より多くの喜びの声が聞こえてきたら嬉しいですね。

岸本賢治さん -これまで走り続けてきたので、そろそろ少し楽したいな、という気持ちはありませんか。 岸本さん - いま、72歳なんですが、勉強したいという願望、向学心は全然衰えないですね。普通だったらリタイアしていてもおかしくないですが、私は全くそういうのを感じなくて、逆に、「もっと」という気持ちが強いです。この歳になって、会社の最先端で、自分が先頭を切ってやれるっていうのは非常にありがたいなと思っています。会社内でも、「『もっと』という言葉を忘れるな」とよく言っています。「昨日こうやったら、今日はこうしてみようか。今日はこうやったけど、明日はもっと変えてやろうというように、よりもっと、よりいい方法を常に考えんといかんよ」と言い続けています。

東温市の風景 -今後の抱負をお聞かせ下さい。 岸本さん - 「まるとっと」をもっと世の中に広めていくことで、社会に貢献したいと思っています。そして、少しずつ海外にも販路を広げていきたいですね。そのためにも、会社としてしっかりとしたビジョンを持ったうえで、生産体制を整えていきたいと考えています。私自身もまだまだ夢を追っかけて、「もっと」チャレンジしていきたいと思っています。

岸本賢治さん

掲載日:2013年1月29日 取材者:A・K