「企業に惚れ込む」それがぼくのパワーの源です
片岡孝志さん 越知町商工会 https://r.goope.jp/39ochi/

日本経済を支える中小企業。中小企業の占める割合は全企業の約99%です。中小企業にとって非常に厳しい経済状況が続く中で、その支援のあり方に注目が集まっています。高知県の越知町商工会で※経営指導員として、中小・零細企業の懐に飛び込み、親身になって経営支援を行いながら、ふるさとの応援にも奔走する、エネルギッシュな片岡孝志さんにお話をうかがってきました。
※経営指導員…主に小規模事業者がその経営に必要とする金融、税務、労働、取引、経理その他のあらゆる分野にわたってきめ細かく相談に応じ、指導を行う商工会組織の職員。 -片岡さんから見る越知町って、どんなところですか? 片岡さん -高知県の中西部に位置する、山が中心の自然豊かな田舎町です。人情に厚い町の皆さんで、僕たちの仕事や日々の活動に対して、無視をしない。とにかくよく見てくれていて、頑張ったことに対しては、きちんと評価をしてくれます。一方で、厳しい目も向けられていて、自分の思いや、活動に対する指摘を直球で僕たちに伝えてくれます。

-生まれは越知町です。高校を卒業して、一度機械修理の仕事で東京や大阪で働いていました。21歳のとき、地元に戻ってとにかく「人と話す仕事がしたい」という思いで、平成8年に越知町商工会に※記帳専任職員として就職しました。そのころは、「商工会って何するところやろ?」というところからのスタートでした。その後、指導員試験を受け指導員として採用されると同時に平成16年に黒潮町商工会に転籍し、6年間働きました。平成22年から再び越知町商工会へ戻ってきました。
※記帳専任職員…小規模事業者の企業記帳の指導・記帳事務代行を行う職員
でも、赴任当初はとにかく信頼関係を築くのが難しかったです。40年勤めた職員の後任かつ余所者という事で、地域への愛着が強い企業さんから厳しい視線が向けられ、名刺をお渡ししてもシャットアウトされたこともあります。しかし、たとえ怒られても、受け入れられなくても、あきらめずに企業さんへ足を運んでいると、片岡という人間を知ってもらうことができます。しつこく毎日通いつめた結果、庭の干し柿をいただいたこともありました(笑)。「僕という人間を受け入れてくれたんだ」と感じてエネルギーが湧いてきました。それからは、困ったときに頼っていただける存在になれたのではと感じてきました。また、記帳専任職員として身につけた財務関係の知識は、企業さんと一緒に経営について考えるときに「こいつは頼れる奴だ」と思っていただけるきっかけになったと思います。越知に戻るときに、「ずっと居てくれたら良いのに」と多くの方にお声がけいただき、本当に嬉しかったことを覚えています。

僕が越知へ戻ってから、クリーニング店の支援を前任指導員から引き継ぐことになりました。商工会としても重点を置いていたところで、前任指導員が経営基盤をしっかりと作っており、軌道に乗り始めた時期にありましたので、「決してこの流れを断ち切ってはいけない!」という思いがありました。まず、とことん巡回し、現況の聞き取りから課題を洗い出しました。
相手も、時間帯や土日関係無く、疑問点等電話を掛けてきます。それに嫌な顔をしても前に進まないので、出来るだけ応えるように努力しました。この会社は現在県内12店舗を抱えているのですが、まずは各店舗の財務状況を分析することでそれぞれの現状と経営の推移を把握し、特定店舗の経営強化を始めとした会社全体の事業計画を立案しました。そして、社長と一緒に立案した事業計画と現状を毎月比較し、現状の経営課題について話し合いながら、軌道修正を含む経営支援を進めていきました。
また、従業員の意識統一や、団結力を高めるために、全社員ミーティングを提案し、その現場に同席して、社員の声を聞いてアドバイスをしたこともあります。その結果、マーケットの拡大にも貢献できたので、就職して間もないころの僕を知っている社長から認めていただき、最高の褒め言葉もいただきました。本当に嬉しかったです。
経営指導員という仕事はどうしても「人対人」なので、マニュアルはあって無いようなものだと思います。でもまずは、企業の現況把握(見える化)、課題の洗い出しをすることは、支援を引き継ぐ上で必要なことだと思います。 -その他、越知町商工会に戻って来てからの印象的な支援を教えてください。 片岡さん -商工会の会員さんの中で、移動販売車を使って日用雑貨を販売されているところがあります。その車がかなり老朽化していて、なんとかしたいと思っていらっしゃいました。そのときに高知県の補助金の存在を知り、企業さんへ申請を勧めてみました。
まずは、現状を詳しく知るために、古くなったバスに乗り込み、移動販売に同行させてもらいました。そこで会員さんの意見や、様々なお客さんの意見を聞きました。高齢化が非常に進んでいますし、土地柄、移動販売車が無くなってしまうことは、山間地域に住む高齢者にとっては死活問題です。意識的にこの移動販売車で買っている方もいらっしゃり、それは、少しでも長く経営を続けてほしい思いから、「お互い様の精神」で購入しているんだと伺いました。そのような声を受けて、一段と支援したい気持ちが高まりました。結果的に、翌年新たに相談いただいた事業所と合わせ2事業所に対し、2年連続で補助金交付のお手伝いをすることができました。購入した車の写真を額に入れて見せてくれたり、「一段と経営のやる気が出たきね。片岡に頼って良かったわ。」と社長にお声かけいただいたりしたことは、最高に嬉しかったですね。ただ、これからが本当のスタートだと思います。地域になくてはならない存在の移動販売車ですから、商工会としても継続的な支援に力を入れていきたいと思います。
これまで商工会が関与してこなかった支援に携わり、今回のように車の買い換えにあたって補助金交付面で後方支援ができると、支援の見える化にもつながり「困ったときの商工会」という実感をより強く持ってもらえます。商工会という組織は会員さんがあっての組織です。極端に言えば、会員さんが「商工会の支援なんかいらんきね」ということになれば、組織の存在意義が無くなってしまう。会員さんに頼られたときに、「ちょうど良いタイミングで、どんな形で応えられるかが勝負だ、相談されたことは放置しない」ということは、経営指導員としての、そして商工会という組織の存在意義を考える上でも常に意識しています。

以前、お菓子屋さんのパッケージの改良のために、僕がデザインを提供したことがあるんです。イラストを描くのは昔から好きでして。社長と相談する中で、幡多弁の柔らかさも伝えられたら良いなということになりました。町に愛されていて親しみやすいお店のイメージと合うように、おばあちゃんをキャラクターにして、方言をまとめたものをパッケージに使いました。道の駅に置く商品にも使ってくれて、これまでよりも売り上げが良くなりました。個人的に、自分が描いたものが店頭に並んでいるのはとても嬉しいことですね。
-片岡さんって、本当にポジティブですね。仕事のスタンスを教えてください。 片岡さん -やはり、企業に惚れ込むことですね。勤務時間だけと割り切れば、当然ビジネスライクな淡泊なお付き合いになってしまいます。特にやる気のある企業さんに対しては、例えばお休みの日でもOFFをONにすぐに切り替えて動きます。もちろん商工会として会員さんに平等に接するのですが、「この人のためにがんばりたい」という思いが無いと良い仕事はできないと思いますね。また、「仕事に直接関係のないことでも何でもする!」ことを心がけています。なんでも「知らないから嫌」ではなく、とりあえずやってみよう、だめなら助けてもらおうというスタンスですね。

また、今後はITを使った相談窓口もできると聞いています。このような田舎の地区でもそのような手段は必要だと考えています。相談内容は大小様々で、経営指導員のマンパワーの限界もありますから、ITという手段も含めて、「相談出来る環境」が増えることは、経営の助けになると思います。
それと、「経営指導員として、武器をたくさん持っていたい。」常にそう思っています。中小企業の支援は、僕たちのような商工団体の職員だけでなく、他の専門家も携わります。そのため、いかに経営指導員の存在価値を出していけるかということが、本当に大切だと思います。専門的な知識を身につけて、経営のお手伝いをすることは当然ですが、特に資金面の支援で国を始めとした施策の活用を促すことも大切な役割の一つだと考えています。田舎の企業さんは、制度一つ活用するにも、背中を押してくれる存在を必要としていることがあります。一つ希望を言うならば、僕たちのような「企業とのパイプ役向け」の制度利用の資料を充実させていただけると、企業さんにも説明がしやすくなり、そのパイプを太くすることに役立つと思います。我々はどんどん宣伝しますよ。「制度を利用して、現状を少しでも良くしよう」といかに企業さんに思ってもらえるかが勝負です。
-片岡さんの今後の夢や仕事への思いについて教えてください。 片岡さん -当然、ふるさと越知は盛り上げたいです。企業さんの支援を通して、越知を盛り上げていくことに携わる中で、企業さんがこれまでの経営を振り返るときに、その「あしあと」の一つとして片岡という存在があるような仕事をしていきたいです。僕は「人生縁が宝物」だと思っていますが、逆に企業さんからもそう思われる存在でありたい、そう思っていただけるような仕事をするのが僕の使命だと思っています。その仕事の仕方のベストを探し続けながらこれからも経営指導員として邁進していきたいですね。

掲載日:2013年3月22日 取材者:Y・S