いぶし銀の美、にじみ出る職人の技と心
濱田広之さん 藤瓦興業株式会社
菊地晴香さん 株式会社菊銀製瓦 http://www.kikugin.com/

愛媛県今治市菊間町。ここは750年の歴史を持つ菊間瓦の産地です。菊間瓦は、いぶし銀の光沢が特徴で、耐久性が高く美しさが長持ちすることから、住宅だけではなくお城やお寺などに幅広く使われています。また、鬼師と呼ばれる職人が一つ一つ手作業で作る鬼瓦は、厄除けという役割だけではなく、屋根の末端に在りながら建物そのものの存在感を高めているようにも感じます。瓦の良さを今に伝え、職人の技や心を未来に受け継ごうとしている藤瓦興業株式会社の工場長 濱田広之さんと株式会社菊銀製瓦の鬼師 菊地晴香さんにお話を伺いました。

-濱田さんはいつ頃から瓦づくりをされているんですか。 濱田さん 昭和55年頃からやってます。それまでは瓦とは全然関係なく、県内の住宅メーカーで営業をしてました。祖父から、忙しいから帰ってこいと言われたので、帰ってくることにしました。
はじめは瓦の焼成を手伝っていましたが、職人さん任せではいけないということで、成形も始めました。特殊な瓦が多かったので、あれ作って、これ作ってといろんな注文を受けながら、だんだんと瓦づくり(※)を覚えていきました。
※瓦づくり:原料となる土を成形し、表面加工、乾燥、焼成などの工程を経て製品となる。

-今までにいろんなところの屋根を手がけられたと思いますが、印象に残っているものはありますか。 濱田さん 九州の小倉城かな。瓦の枚数が多かった。確か8万枚。

-8万枚!想像がつきません。 濱田さん 普通の住宅で3,000枚くらい。
これだけの枚数になったら1社では難しいから、何軒かで協力してやりました。ここで瓦を焼いて、小倉まで運んで、屋根をふくまで。


-それだけ作るには時間がかかりますね。 時間というか手間がかかる。お城の屋根は作りが複雑で、ひとつの屋根でも場所によって勾配が違うので、それにあわせて瓦を作らないといけない。さらに、家紋を入れる瓦を作るときには、家紋が真っ直ぐに見えるよう、1枚1枚角度を変えて作らないといけないので、相当手間がかかる。設計士がいるからちゃんと設計図はあるんですけど、瓦には詳しくないから、番号を振っておいて、これは下から何番目という指示までいる。一般の住宅ではこんなことは絶対ない。

-瓦づくりの面白さってどんなところにありますか。 濱田さん 瓦ができたときに喜んでもらえるところかな。
-いつ頃から面白いと思えるようになりましたか。 濱田さん いつ頃からかは分からないけど、いろんな仕事があるから面白いなと。一般の住宅だったらほとんど変わりがないけど、お城とかお寺とか変わった仕事が次から次へと来た。そのたびにいろいろ創意工夫しないといけないし、他所のを見て自分なりに勉強していかないといけない。そういう仕事があったから、面白いと思ったし、続けてこられたと思う。

-仕事への思い入れやこだわりもあるんでしょうか。 濱田さん こだわっていたのは、家紋を作るときの型を木型屋さんにお願いしていたこと。今はもういなくなったんですけど、できるだけ職人さんに仕事をさせてあげようと思って。石膏で型を作ったら安くできるんですけど、仕事がなくなったら職人さんは辞めなきゃいけなくなるでしょう。辞められると困るんです。儲かる儲からないという話じゃなくて、仕事の経験がないと技術が残らないから。
桜の木を使って型を作るんですけど、木に彫るから細かい線が出るんですよ。欠けもないし。粘土でここまでするのは難しい。木型から抜くと、すごくきれいな紋ができる。自分はこれにこだわっていました。



-これだけの木型が並ぶと、絵になりますね。 濱田さん これは藤巴。黒田官兵衛が使った紋。こっちは戦前の木型かな。こういうのが相当残ってる。たぶん何百もある。どれもものすごくきれいなんです。すばらしいですよね。
それから、これはお寺の紋なんですけどね、隠し文字が入ってるんです。口が西、おふくさんの顔で福、ここの右のところに寺と書いてある。これで西福寺ですね。復元してから気づいたんですけど、今はこういう意味を持たせたものがないんですよ。


-昔の人の遊び心を感じますね。今は型作りはどうされているんですか。 濱田さん 石膏か樹脂です。それで作れないものは鬼師にお願いする。

-鬼師と聞くといかつい感じがしますね。 菊地さん よく言われるんですけど、この地域で育っているので、鬼=いかついみたいな先入観はないですね。

-どんな仕事をされているんですか。 菊地さん 鬼瓦を作るのが仕事です。と言っても、鬼の顔がついているから鬼瓦というわけではないんです。鬼の顔だけではなく、波、雲、竜、巻物など装飾された瓦を一括りにして鬼瓦なんです。機械では作れないものを全体的に作っています。
-なぜ、鬼師になろうと思ったんですか。 菊地さん 元々、じいちゃんが鬼師だったので、小さい頃からそれをずっと見ていました。自分自身もものを作ることが好きだったので、こういう仕事に就ければいいなと思っていたんです。小学生の頃から「鬼師になりたい」と言っていました。

-跡を継いだということですね。 菊地さん そうなりますね。本格的に仕事を始めたのは高校を出てからですが、手伝いは中学生のときからしていました。高校生の頃も学校をサボって瓦を作ったりして。遊ぶんじゃないから構わんやろって。

-おじいちゃんから鬼師になってみるか?って言われたんですか。 菊地さん じいちゃんは、女には無理だって言っていたんですよ。でも、それに反発したとか自分から積極的に動いたというわけでもなくて、自然に鬼師になったという感じです。気づいたら、こうなっていました。

仕事をしている場所は同じだったんですよ。でも、近くに行って見ようとすると「なんぞ!」って怒られるし。じいちゃんがおらんときにちょこっと見たりして、覚えたことが多いですね。

-鬼瓦には決まったデザインやルールはあるんですか。 菊地さん 特に決まりはないんですよ。注文書や仕様書みたいなものもほとんどないので、自分の作りたいように鬼を作りますし、復元で同じ顔を作ってほしいと言われたら同じ顔を作ります。
でも、同じ顔を作っても、気が付いたら、何となくじいちゃんの作った鬼の顔に似ているんですよ。

-作っている時はどんな気持ちなんですか。怖い鬼の顔を作るときには、そういう気持ちになっているとか。 菊地さん 作っているときは、ほとんど何も考えていません。無ですかね。音楽を流したり、ラジオをかけたりすることもありますけど、気づいたら何もかけずに静かに仕事をしています。朝8時から夕方5時まで、工場で1人で黙々と作業しています。
-鬼瓦を作っていて、どんなところにやりがいを感じますか。 菊地さん 作り終わって、焼き上がったのを見たときの達成感ですかね。
瓦を人に見られるっていう意識はあんまりなくて、見てほしいとか自慢したいとか思わないんですよ。興味のある人だけが見てくれたらいいかな。

-ひたすらいい物を作るという雰囲気が伝わってきますね。今後の目標があれば教えて下さい。 菊地さん 私がいることで、じいちゃんは後継者を残したことになるじゃないですか。じゃあ、私も次を残さないといけないっていうプレッシャーを感じます。
とりあえず一人前の鬼師になることですね。これ作ってと言われたときに、どうやるのと聞かずになんでも作れるように。
一般的に、10年で一人前と言われていますけど、仕事がないと作れんし、在庫づくりもできんので、まずは数をこなすことですかね。

-地場産業の瓦づくりを通して、菊間あるいは今治という地域に対して何かしたいという思いはありますか。 菊地さん 小さい子どもに教えることですかね。粘土で何でも作れるよと。小さい時にしたことって結構覚えているじゃないですか。小さいうちから瓦のことを知ってほしいし、将来そのことを思い出してくれたらいいなと思います。

濱田さん 今、職人技能を見える化したデータベースづくりをしています。職人技の工程を写真に撮って、瓦の種類ごとに整理しているんです。種類が多いと自分でも作り方を忘れてしまうけど、手順を書き留めてマニュアルにすれば失敗もしなくて済むので。
若い人に教えるなんてことはようしませんけど、きちんと技術を残していきたいと思っています。


掲載日:2014年5月30日 取材者:A・T