龍馬が愛した「シャモ鍋」で、地域を元気に!!
立花 智幸さん、徳久 衛さん 企業組合ごめんシャモ研究会 http://www.gomensyamo.com/
坂本龍馬が暗殺された夜、食事に供すべく用意していたのが「シャモ鍋」です。この龍馬が愛した「シャモ鍋」を地元南国市の活性化に活かしたいと、2008年に「ごめんシャモ研究会(シャモ研)」が設立されました。平飼いでシャモの飼育を行うなど、こだわりを持った「シャモ鍋」は、2010年1月に開催された「第6回彩の国全国鍋合戦」でみごと優勝を勝ち取るなど、高い評価を得ています。
南国市産「シャモ(ごめんケンカシャモ)」は、龍馬が食べていた頃と同じ、昔ながらの100パーセント純血種。混血種が多い他地域の「シャモ」に比べ、うまみが濃く、肉質もしっかりとしています。今回は、そうした「ほんまもんのシャモ」のおいしさを地元南国市に来て存分に味わってもらいたいと意気込む、シャモ研理事長の立花智幸さんと、同相談役の徳久衛さんにお話を伺ってきました。
-シャモを使ったまちづくり。そのきっかけはどんなことからですか。 立花さん 実は、南国市は坂本龍馬さんにゆかりのあるまちなんです。龍馬さんの祖先の墓所が才谷という地区にあり、10年くらい前まで、命日に龍馬さんを偲ぶ料理としてシャモ鍋を振る舞うお祭りをしていたそうです。その話を聞いた頃が、ちょうど仲間たちとまちおこしのヒントを探していた時です。龍馬さんが、シャモ鍋を食べるべく用意をさせていたが、刺客に襲われて結局食べることなく最期を迎えてしまったという話もそのとき知りました。この話にはドラマ性があり、情報発信力もあるなと。龍馬さんが最後に食べ損ねたシャモ鍋で南国市を元気にしようと目標ができた瞬間でした。
-そこでシャモ研が結成されたわけですね。どのようなことから始められましたか。 立花さん まずは、市役所に相談して高知県畜産試験場から70羽の大シャモを譲り受けました。しかし、ただ単純にシャモを飼育して売っていくだけの活動ではしょうがない。僕たちがただの肉屋さんになったらあかん。やっぱり自分たちが情報発信しながら、いろんな人に知って頂いて来てもらわんと。そんなことを思っている時に、鍋の全国大会があるというのをネットで見ました。これは面白そうだから行ってみようかって、さっそくメンバーを説得して出場したわけです。70羽近く、譲り受けたほとんどのシャモを食材にしました。
-全国大会での反響はいかがでしたか? 立花さん それが優勝してしまったんですよ。しかも翌日、全国ネットのテレビ番組でも取り上げて頂いたおかげで一気に広まってしまって。シャモ鍋はどこで食べられるのって問い合わせが殺到しました。でも、鍋の食材にしたからシャモはほとんど残っていない。シャモがいないもんで、そりゃもう尻に火がつきましたよ。シャモをいっぱい飼わないかんって。シャモの飼育は一般の鶏に比べてすごく手間暇が掛かることもあって、あまり肉が流通していないんですよ。だから自分たちで飼うしかないっていう状況に。
-順番が逆ですね(笑) 徳久さん シャモを飼育する場所から探さなければならない状況だったんですけど、高知県では、昔から庭先で鶏を飼っている文化があったんですよ。卵を産ませて食べて、産まなくなったら絞めて鍋にして食べるという食文化。そういった昔の土佐の風景を現代に取り戻したいねとメンバーとも話し合いました。まず南国市内の農家さんに協力してもらってシャモの飼育から始めて、シャモの飼料にも農家から出る野菜くずや、飼料米を配合しました。農家の庭先から始まる生産の循環システムを目指そうと。
-やりがいはどのようなところに感じますか? 立花さん 僕たちはシャモ研を結成したとき、南国市を子どもたちに誇れるまちにしたい、南国市後免町から発信するシャモを子どもたちに誇れる特産品にしたいという思いがありました。
また、南国市で育った子どもたちには一度はシャモを食べて大人になってもらいたいという気持ちもあって、今年初めて南国市内すべての学校給食でシャモ鍋を出してもらったんです。
徳久さん いわゆる出前授業を行って、シャモの特徴とか飼育に手間が掛かり大変なことを説明して、シャモを食べてもらう。普段食べている鶏肉と違って、歯ごたえもあるし噛めば味も出てくる。鍋のスープもシャモで出しただしなので大変おいしく、子どもたちも本当に喜んでくれました。これが地元の新名物かと目をきらきらさせている子どもたちの様子を目の当たりにして、僕たちも日々の作業は本業との掛け持ちで大変なんですけど、そこでリセットできるというか救われるというか、やってて良かったなと自分たちの誇りにもなり得る瞬間がありました。
-食を通じて地域を理解することにもつながりますね。 立花さん 自分たちの活動でも意義があるところだと思います。食育でいえば、日本人のあごがだんだん細くなってきているのは、全般的に柔らかいものを食するようになったからってよく言われますが、食の傾向って固いものから柔らかいものにシフトしていると思うんですよ。
徳久さん 置き忘れてきたものってあると思うんですよね。それは昔あった、生産性とは真逆にある食材とか生産物とかだと思っています。今、シャモを平飼いにしているというのも、かつて農家の庭先で飼っていたように自由に生きながら、その辺の雑草をついばみながら育つシャモを提供していきたいのがこだわりのひとつとしてあります。
-それが、直営鶏舎を設けたことにもつながるわけですね。 徳久さん 我々は素人ながらシャモを飼い、いろいろなことを勉強していきながら、どういうシャモを育てて消費者の方へ提供していくかということをメンバーみんなで真剣に考えたいという思いがあります。直営鶏舎のあり方についてもそのような視点で飼いたいというのは、メンバーの共通認識として持ち合わせています。
立花さん 今回直営鶏舎を作ったのは、品質にばらつきのある食材を提供することによって信用を失うことが一番怖いことなので、一定レベル以上のものを必ず出荷できる体制を取っていかなければならないと思ったからです。ひとつのモデルケースとしての直営鶏舎であって、それを模範として、委託している農家さんが同じように飼って頂ける生産体制を構築していきたいと考えています。今は鶏舎の整備とか設備投資とかが大変な時期で、ここが踏ん張りどころかと思っています。
-飼育数を増やして、販路開拓も視野にあるのでは。 立花さん 商談会をきっかけにして、首都圏でも関西でもいくつか取扱店は増えてきたんですけど、目標は高知に来て、南国市に来て食べてほしいんです。県外でもアンテナショップ的な感覚で取り扱って頂けたらなと思います。まず都会の人に食べてもらって知ってもらう。県外に売るということは、そういう意味があるのかなと思っています。
徳久さん 販路開拓には課題があって、ひとつがシャモは急激に生産量を増やせないということ、もうひとつは、地元の農業高校の先生から聞いた話ですが、畜産科の生徒さんが畜産業に就けるほど需要がないということです。
-雇用の問題ですか。 徳久さん そうです。生き物が好きで、これを学びたいということで畜産科に来てくれても、生き物を育てることにずっと携われる就職口が少ないという話を聞いています。ゆくゆくは新たな雇用、特に地元の子どもたちが南国市で働ける、そういう企業体になれば社会的な意義も大きいと思います。現段階では夢ですけど、県外にも販路を求めて飼育数を増やして、ここに雇用の場が生まれるというような道筋を立てていかなければいけないし、立てていくべきだと考えています。
-目標は、まちおこしと雇用ということですね。 立花さん そう!地元の子どもたち、自分たちの子どもたちが帰ってくるまち、場所を自分たちでつくれるように。高知に来たらかつおだけじゃなくてシャモも食べたいねって、全国の人に言ってもらえるように。かつおは刺身とたたきがありますが、シャモは料理メニューがもっと豊富なんでいつかは逆転できるんじゃないかなと思っています。伸びしろはありますよ。
徳久さん シャモという鶏は、いくつもある鶏のなかのひとつじゃないですか。そのシャモを飼って売り出すというのは、もちろんおいしいというのもありますけど、龍馬さんが普段食べてて、亡くなった晩もシャモを食べるべく買いに行かせたけど食べることなく暗殺されたという、そういう背景も我々の地域の財産としてあると思うんですよ。ですから、そういう物語もいっしょに食べてもらうというのが、我々の事業の深みになってくると思うんです。
-最後になりますが、ごめんシャモ研究会、発信するシャモはごめんケンカシャモと名前もユニークですね。 立花さん 南国市ってほんとに何もないんですよ。これっていうのは(笑)。でもひとつだけあって、それが後免町、「ごめん」っていうまちの名前。日本中なかなかないおもしろい名前なので、いろいろな取り組みに「ごめん」という名前を付けて活動しています。
徳久さん 後免という名前はひとつの地域の宝だから、まちの名前を活用していこうということで、いろいろな形で「ごめん」を使ってまちおこしをしているところです。それが地元のお店とかにも波及していっています。僕らは少人数で活動していますけど、いろんな人がそうやって関わってくれているんで、どんどんこの輪を広げていってたくさんの人を巻き込んでいくということが必要だし、大事なことだと思っています。 立花さん ごめんケンカシャモがきっかけで、南国市に目を向けて頂いて立ち寄ってもらう。地産来消的な発想ですよね。来て頂いて南国市で食べて頂いて、それがまちおこしにつながっていくんじゃないかなと。そのなかでシャモという僕たちの活動が、まちのなかでトップランナーになっていけばいいなと思います。
掲載日:2014年9月9日 取材者:A・Y