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出会いとこだわりから生まれた、暮らしに馴染む器づくり

矢野耕市郎さん 株式会社SUEKI

矢野耕市郎さん
 国の伝統的工芸品・大谷焼の故郷として知られる、徳島県鳴門市で生まれた「SUEKI CERAMICS」。アースカラーと言われる独特な色合いは、2万通りものテストによって作り出されたといい、そんな強いこだわりがSUEKIには詰まっています。そして今、食器業界だけでなくアパレル業界、家電業界など多方面に活躍の場を広げている矢野耕市郎さんに、立ち上げから現在に至るまでのお話を伺いました。
-ご実家が大谷焼の窯元で、陶芸を身近に感じられる環境だったと思うのですが、早い時期から製作されていたんですか? 矢野さん  陶芸は全くしていませんでした。小学校の時に粘土遊びをしていたぐらいですかね(笑)。25歳の時に大阪から徳島に帰ってきたんですけど、本当にゼロからのスタートでしたよ。

大谷焼の窯元「矢野陶苑」の外観

-以前はウェブのお仕事をされていたそうですが、窯元を継ぐ考えは、その当時お持ちではなかったんですか? 矢野さん  昔は全く考えていなかったです。音楽をやっていてドラムばかり叩いていましたからね。だけど、音楽をやめて何をするかって考えた時に、頭に浮かんだのが今の道でした。ウェブの仕事も、あまり自分に向いていなくて、このまま人生終わるのも嫌だな、って思ったんですよね。その時は、父親の良い時代のイメージが強く、見よう見まねでやったらできるんじゃないかな、と淡い期待を抱いていました。

-最初から大谷焼の作家を目指されていたんですか? 矢野さん  父親が作家なので、僕もその方向でやろうかなと考えていました。作家になって、大谷焼を変える、じゃないですけど、新しくしたい、ということは最初から考えていましたね。 登り窯

-そういった想いからSUEKIが生まれたんですね。 矢野さん  そうですね。ただその時は、今とは少し違う形で活動していたので、現在のSUEKIのスタイルになったのは5年前くらいですね。

-試行錯誤を重ねて、今があるという訳ですね。 矢野さん  最初の頃は、全然通用しなかったんですよ。しかも、その通用しない理由さえも分からない状況で。それで、あることがきっかけで改善を重ねて、それを凝縮したのが今のスタイルです。

-そのきっかけとは? 矢野さん  「大谷焼の方がいい」って言われたことです。その当時、もっと雑貨に近いものを作っていたんですけど、どこのセレクトショップに持っていっても、そう言われたんです。この一言は衝撃でしたね。これって、結局何かというと、モノ自体より、そのモノのバックグラウンドの部分を重視している訳なんです。大谷焼の歴史や、何代も続く窯元が作っている、というストーリーがある方が、店側も売りやすいんですよね。
藍染用の甕(かめ)

-そこから、どういう風にスタイルを変化していったんですか? 矢野さん  大谷焼と聞くと、藍染用の甕(かめ)など大物が主流で、なかなか食器など他の形のイメージがないと思うんです。何を作るか考えた時に、まずそこで大谷焼というイメージを取らないと前に進めないと思いました。けれど全く無にしてしまえば普通の雑貨になってしまうので、地場のモノを使うことにしたんです。例えば、ここ大谷の土だったり、今は使っていませんが徳島で多く採られる青石だったりと。そうすることで、ストーリー性も加わり、他には真似できないプロダクトになるんですよね。そういう試行錯誤から今のスタイルが生まれたんです。

-大谷焼のイメージが強くある中で、それを打ち砕くのは大変だったのでは? 矢野さん  うーん。でも結局は全てを打ち砕いた訳ではないんですよ。僕の中で大谷焼はずっと大物のイメージなので。そもそもカテゴリはまず要らないと思うんです。カテゴライズされすぎると、伝統工芸も衰退してしまう、と僕は思います。
矢野耕市郎さん

-縛られないやり方でやってきた結果、東京のカフェなど様々なところで使われ、人々の生活に浸透していった訳ですね。 矢野さん  そうですね。作家は、年に数百個出すか出さないかぐらいの生産量だと思いますが、それでは産業化は難しいと思うんです。自分の作った食器ができるだけ多くの方に使ってもらえるよう、SUEKIでは型を使ってできるだけ多く作れるようにしました。
矢野耕市郎さん

-SUEKIを作る上で、参考にしたものなどはあったんですか? 矢野さん  アメリカにヒースセラミックスというブランドがあるんですけど、ここもSUEKIと同じマット釉(※)を使っているんですよ。マット釉を使っているメーカーって世界的に見てもあまりなくて、ヒースは他の食器メーカーに負けないくらいアーティスティックかつ、独自のスタイルがあるんですよね。それが、自分のしたいスタイルと似ていたので、参考にしました。
(※マット釉とは表面に光沢がない不透明な釉薬のこと)

-それが、SUEKIの基となった訳ですね。では、そこからどのように広げていったんですか? 矢野さん  発売当初から良い出会いに恵まれたお陰で雑誌にも何度か出させていただくことができました。他にも、プレス向けの展示会に出るなどして、全国に広げることができましたね。
 海外も、アジア圏やアメリカへは少しずつ商品を売ったりしています。

-「良い出会い」が現在までSUEKIを引っ張っていってくれた一つという訳ですね。 矢野さん  そうですね。タイミングも良かったんだと思います。
SUEKIの器

-SUEKIは、この独特なカラーがすごく特徴的だと思うんですが、この色を作り出すのに、2万通りもテストをしたとか。 矢野さん  10グラムで調合するんですけど、ごま粒くらいの差で色の配合を変えていくので、そのぐらいはテストを重ねましたね。今でも、一つの色を作るのに、100~200回のテストをします。なので、服は黒と紺色しか着られなくなりましたね(笑)。色を見すぎたせいか、本当に服の色なんて選べないんですよ、というよりも見たくない、という方が正しいですかね。また面白いことに、食器は黒色は使わないんですよね。
テストを重ねたカラーサンプル

-確かに、今日の服装も黒一色ですね(笑)。そこまでの強いこだわりと熱意を持つ矢野さんだからこそ、素敵な人を引き寄せられるんでしょうね。 矢野さん  光栄なことに、今は面白い人や素敵な人からお声がけいただくことも増えました。

-最後に、今後の展開についてお聞かせください。 矢野さん  今、ちょうど分岐点が来ていて、これまで幅広くブランド展開などしていたものを一気に凝縮していこうかなって思っています。今まで、色々やってきたからこそ分かった部分も多いので、何を残して何をやめるか整理していこうと思っています。これからも、独自の路線を開拓していきたいという想いで、自分のやりたいことをやって、それに共感してくれる人と一緒に仕事ができたらいいな、と思います。
SUEKIの器

掲載日:2017年8月24日 取材者:A・H