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クリエイティブの価値をカタチに

村上モリローさん 株式会社スクルト

村上モリローさん

香川県牟礼町、庵治石の産地としても有名なこの町に、1軒のデザイン事務所があります。クリエイティブの価値を高めながら、香川の地から世界へと挑戦し続ける、株式会社スクルト代表、そして少数精鋭デザイン活動部隊「瀬ト内工芸ズ。」の部長を務める、村上モリローさんにお話を伺いました。

-はじめに、株式会社スクルトでは、どのような仕事を手がけられていますか?

村上さん

“デザインやクリエイティブで、モノやサービスを良くする”仕事です。

デザイン業界では、基本的に「グラフィックデザイン」や「WEBデザイン」など、細かく分業されていて、それぞれ得意分野を手がけることが一般的です。そのため、クライアントからは、「何をメインでやっているのか。何が得意なのか。」と聞かれることもありますが、そんなものを決めてしまっていたら、田舎では仕事になりません。基本的にどんな仕事も引き受けるスタンスでやっています。

庵治石のモデルルームを受け継いだ事務所
庵治石のモデルルームを受け継いだ事務所。

-高松工芸高校ご出身ということで、昔からデザインに関わる仕事がしたいと考えていたのですか?

村上さん

小学生の頃は絵描きになりたかったんです。ですが、絵でご飯を食べていくのは大人の話によると難しいということもチラホラと聞こえていて(笑)。そんなとき母から、「役に立つ絵描きになればいい。」と言われました。最初はよくわからなかったんですが、小学校高学年の頃に、キース・へリングという画家が、ポップアートでエイズ撲滅のキャンペーンをして、社会貢献をしていることを知りました。絵を描くことも社会の役に立つんだと知って、その世界で生きていこうと思ったのが最初です。現在の仕事のような商業デザインがあると知ったのは、高校に進学してからですね。

-小学生の頃からそのような思いがあったのですね。やっぱり昔から絵がお上手だったのでしょうか?

村上さん

小学生の頃に、担任の先生からクロッキーの上手な描き方を教えてもらって、飛躍的に上手くなりました。日記を書く宿題があったんですが、先生にお願いして僕だけ絵日記を書いていたことを今でも覚えていて、子供の可能性を伸ばしてくれるような先生との出会いがありましたね。

-高校卒業後は京都の短大へ進学し、そのまま就職されたそうですが、地元である香川県に戻ってこられた理由を教えていただけますか。

村上さん

短大を卒業して様々な仕事を転々とし、それから2年ほど大阪のデザイン事務所で働いていたんですが、地元で海鮮料理屋を営んでいた父が倒れたことをきっかけに、25歳で地元へ戻りました。実はその頃、東京に行ってデザインの仕事で勝負したいという思いもあり、ちょうど大阪から離れようと思っていたタイミングだったんです。

最初は、父の店が再び軌道に乗れば、東京へ行こうと考えていました。でも、やっぱり父や家族が心配だったこと、あと、父の店を手伝いながら地元のデザイン事務所で仕事をするうちに、地元で働き、暮らすことが面白いと思い始めました。

-どんなところが面白いと思われたのですか?

村上さん

ありきたりですが、夜中に聞こえる地元の海の音と星空がすごく綺麗で、こんなに良いものがあるんだったら、もっと面白いものがあるに違いない、と思いました。それと、都会と違って小さく狭い場所だからこそ、「こっちでおもしろいことをやったほうが目立てる!」と思いましたね(笑)。

スペースの机は、卓球台
お話を伺った事務所打合せスペースの机は、なんと卓球台。
村上さん曰く、「しっかりしていて丁度良いんですよ。」

-それから、どのような経緯で今の会社を立ち上げられたのでしょうか?

村上さん

地元のデザイン事務所を退職して、フリーランスになりました。当時は食べていけるかどうかとても不安でしたが、昔からのクライアントが新しいクライアントを紹介してくれることもあって、なんとか食べていけるようになりました。

その後、これからもっと面白くて、スケールの大きい仕事をするにはチームを作る必要があると感じて、現在の会社を立ち上げました。

-会社には、どのような方々がいらっしゃるのですか?

村上さん

営業の吉川さんは、小学生の頃からの親友で、どこにでも飛び込んで行くスゴイ営業マンです。他に、マネージャーが1人、デザイナーが1人いますが、専属のカメラマンのような社員はいません。というのも、地元の優秀なクリエイターと組んだ方が良い物ができると考えているので、写真やコピーなどの内製化はしていません。

-会社を立ち上げられたとき、苦労はありましたか?

村上さん

仕事の単価は決して高くなかったですし、広告代理店からの仕事もなかったので、正直辛かったです。最初の何年間かはずっと赤字経営で、ある程度安定して仕事ができるようになるまで、4年はかかりましたね。

うちが他のデザイン事務所と違うのは、広告代理店からの仕事がとても少ないことです。この業界では、デザイナーは広告代理店から依頼された仕事をやるというのが一般的な流れですが、田舎では仕事の案件自体が少ないこともあって、若いデザイナーにはなかなか仕事がまわってこないんですよ。それなら自分で仕事をとってこよう、ということで自社で営業をやっているんですが、うちみたいな会社は特殊だと思います。

-今のように会社が軌道にのったきっかけは何でしょうか。

村上さん

会社を立ち上げて現在6年目になりますが、「面白いと思ったことを全力でやる」ということは、常に心がけています。たとえ儲からない仕事であったとしても、その仕事の成果や仕事ぶりを見て、他の人が仕事を依頼してくれるかもしれませんからね。仕事が来ないとすれば、それはそれで自分の実力が足りていないんだな、という勉強にもなります。

あとは、経験を積むことによって、仕事の内容や自分たちの技術、考え方が磨かれていった分、仕事の料金単価も上がっていくということを、クライアントにわかっていただくことが大事だと考えていたので、デザインの価値を確立するための仕組み作りも行いました。

村上モリローさん

-どのようにして、自社におけるデザインの価値を確立されたのですか?

村上さん

まずは、毎年発行される「広告料金表」という本を参考にし、次に、仕事にかかる時間を管理して、うちのマネージャーと営業に、僕の1時間の時給を計算してもらいました。さらに、色々なクライアントとやりとりしたり、同業者に教えてもらったり、例えば建設業のような他業種の見積もりの出し方も参考にしたりしました。色々なものを見て、調べて、経験を積んで、うちだとどうなるのかを考えて料金体系を作り、確立させていきました。

ロジカルにやっていれば、クライアントも安心して料金を払ってくれます。理屈がわからないから払ってくれない、それだけの話です。ただ、現在でも体系が完成しているとは思っていなくて、今後も検討を重ねるべきところだと思っています。

-四国経済産業局では、四国の商品やサービスの高付加価値化・ブランド化を推進するため、中小企業におけるデザイン活用の促進に取り組んでいます。村上さんが当局のデザイン事業に携わる中で、印象に残っていることはありますか?

村上さん

株式会社ダイコープロダクトさんと、手袋のブランド「SoH」(https://soh1963.jp/)を立ち上げたことが特に印象に残っています。社長の川北さんの地場産業である手袋への熱い思いに心を打たれただけでなく、川北さんは、僕らデザイナーは知的財産で儲けないとダメだ、と言ってくれました。

実際、手袋が売れると、価格の何パーセントかが対価としてデザイナーに入るという契約をしていて、手袋がたくさん売れることで、デザイナーに入ってくるお金も増える仕組みになっています。デザインの価値について、改めて川北さんから教えてもらったという意味でも、とても印象に残っています。

-手袋ブランドの立ち上げを通して、地域を盛り上げたいという思いが伝わってきますが、村上さんの地域愛はどのようなものですか?

村上さん

特別な地域愛というよりは、地域の良いところを見つけて、盛り上げて、自分の住む場所を都にしたいと思っています。どちらかというとデザインとかコピーとか、クリエイティブへの愛が強くて、クリエイティブをもっとみんなに知ってもらうために、地元に役立つことをやろうと思っています。

瀬ト内工芸ズ。のロゴ

-地域への思いといえば、「瀬ト内工芸ズ。」。ここでは部長を務めていらっしゃるんですよね?

村上さん

「瀬ト内工芸ズ。」は、2013年3月に香川で活躍しているクリエイターで結成しました。現在14名の部員がいて、商品開発やオリジナルグッズの販売、クリエイターのマッチングイベントなどを行っている、個性派揃いの集団です。

特に年々盛り上がりを見せているのが、キャッチコピーコンテストである「平賀源内甲子園」(https://setoco.jp/gennai-koshien/)です。香川県内の学生に、お題に即したキャッチコピーを考えてもらうイベントで、参加した学生の中には、「将来コピーライターになってみたい」と言ってくれる子もいて、とても嬉しく思っています。クリエイティブに触れるきっかけを作ることが、クリエイティブの価値を上げることにも繋がると考えています。

平賀源内甲子園のポスター
平賀源内甲子園のポスター。第4回目は約1万3000通もの応募があった。

-村上さんは数々のデザインやブランディングを手がけられていますが、モノが持つ「良さ」や「価値」を引き出すコツはありますか。

村上さん

まず、クライアントとの信頼関係がないと良いモノはできません。クライアント、そしてクライアントが作るモノに愛情を持つことが、信頼関係を築く最初の一歩ですね。

そして、よく聞き、調べることが大切だと考えています。データだけの市場調査のようなものだけではなく、自分の足で調べて作り手の想いを聞き、作り手に“憑依”するぐらいの気持ちで、手がけるモノのことを考えます。今までの経験だけでデザインを思い描いても、それは自分の記憶の中にあるデザインの寄せ集めにすぎません。よく聞き、よく調べて、そのモノの本質をついたところを表現していけば、もっとあたらしい良いモノにできると考えています。

村上さんが手がけた商品の数々
事務所の入口には、村上さんが手がけた商品がズラリ。どれも思い入れのあるものばかり。

-今後、どのような会社にしていきたいですか。

村上さん

「1番人が集まってくるデザイン事務所」にしたいです。そして、地元のクライアントだけにとどまらず、世界中と繋がりながら仕事をしたいですね。地元のモノを地元のデザインでプロデュースするだけではなく、世界のモノと瀬戸内のクリエイティブを結びつけたり、瀬戸内の伝統工芸と世界中のクリエイティブを繋げたりするような目線でやっていきたいです。良いモノをつくるためには、幅を広げた方が可能性も広がりますからね。

村上モリローさん
取材中も利用されていた、コ・ワーキングスペース。
「1番人が集まってくる事務所」を目標に、2018年9月より事務所内に設置された。
デザイナーにかかわらず、様々な業種の人が利用可能。

-最後に、村上さんご自身の今後の目標を教えてください。

村上さん

クリエイティブの価値を高めていくことです。クリエイターは、労働組合のような組織もなくて、誰も守ってくれない存在なんです。僕は、最低賃金があるなら最低制作費があってもいいんじゃないかと思っているんですよ。クリエイターを守る組織や仕組みを作っていきたいですね。

あと、クリエイター自身も、もっと意識を持って仕事をするべきだと思います。自分たちの生み出すモノの価値を知ってもらう努力をしなければ、相手には伝わりません。正規の料金を当たり前のように払ってもらえるようにするためには、クリエイター自身も努力しながら、クリエイティブの価値を理解してもらえるような歴史や文化をつくる必要があります。

僕が発案したイベントとして、9月に香川県デザイン協会主催で、デザインの可能性や価値を再考する「瀬戸内デザインアワード」を開催しました。このようなイベント開催をはじめとして、今後も積極的にクリエイティブの価値を発信していきたいですね。

コ・ワーキングスペースの様子
掲載日:2019年11月19日 取材者:Y・T