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セトウチの職人集団で「ものづくりの聖地」を創る!

田部 智章さん 株式会社タナベ刺繍/セトウチメーカーズ

手袋の産地としても有名な香川県東かがわ市で、瀬戸内地方の職人集団「セトウチメーカーズ」を立ち上げ、その代表を務める株式会社タナベ刺繍 代表取締役社長 田部智章さんにお話を伺いました。

田部 智章さん

―まずはタナベ刺繍についてお伺いします。タナベ刺繍とは、ズバリどういう会社でしょうか。

田部さん

タナベ刺繍は、「驚きと感動の刺繍で笑顔を創る」ことをミッションに掲げ、小ロットから、大量生産、ファッションブランドへの企画提案など幅広い刺繍の生産を手掛けています。弊社では、お客様のさまざまな要望にお応えするので、全く同じ仕事というものはありません。社員全員が同じゴールを見ながら、毎度どうやったら上手くいくのかを考えて仕事をしています。

―タナベ刺繍のような刺繍メーカーは、他にもあるのでしょうか。

田部さん

僕らのように自社工場を持って、社内で企画し、直接アパレルブランドと取引をする会社は、今は数社程度しかいません。四国では、弊社のみですね。ファッションアパレル業界はとても狭い業界ですが、業界内では非常に有名です。

―なるほど。では、そんなタナベ刺繍の強みとはなんでしょうか。

田部さん

技術はもちろんのこと、社員のものづくりに対するメンタリティですね。ある時、要望が難しかったためにどこも受けてくれず、とても困っていたお客さんから依頼がありました。この時めちゃくちゃ忙しく、正直断ろうと思っていましたが、社員に聞いたらやるといったので仕事を受けました。納期が非常に短かったにも関わらず、お客さんの要望どおりに仕上げ、仕事をやりきっていました。困難に立ち向かう折れない心・仕事に没頭できる心というものがしっかりと根付いているからこそできるんだと思います。

タナベ刺繍の工場  

色とりどりの糸が紡ぎ出すタナベ刺繍の世界観

―それでは、日本でも有数の刺繍メーカーのトップである田部社長の素顔に迫っていきたいと思います。子どもの頃はどんなお子さんでしたか。

田部さん

両親が仕事で忙しくしていたので、妹と二人、祖母に面倒を見てもらっていたおばあちゃん子でしたね。中学を卒業して高校は行ったんですけど、夏休みが終わったら学校に行きたくなくなって、そのままいきなり東京に行っちゃいました。

(左)妹さん(右)と田部社長

(左)妹さん(右)田部社長

―なかなか行動的ですね。ちなみにご趣味は?

田部さん

趣味は、漫画、ゲーム、車ですね。漫画は手塚治虫が好きで、自分の子供たちにも、学びの参考図書として手塚治虫の漫画を与えていました。実は、刺繍の仕事は、ゲームを創る会社に似ていると思っていて、自分がゲーム好きで、楽しめる人間じゃないとおもしろいゲームって創れないと思うんですよ。刺繍も1つ1つ組み立てて作品を創っていくところが同じで、刺繍が好きで没頭できる人間じゃないと良い仕事はできないんですね。

―ゲームと刺繍に共通点があったとは。目からうろこです。家業を継ぐことは子供のころから考えていたのですか?

田部さん

家業を継ぐことは特に意識していませんでした。先ほど東京へ行った話をしましたが、約1年半過ごした後、家で仕事をすれば、楽ができそうという甘い考えで入社しました。その後、26歳の時に先代社長である父が倒れたことがきっかけで、社長になったのですが、経営に関する知識も経験もなく、会社の状況も知らず、関心も無い状態での社長就任でした。これが大きな間違いで、本当に痛い目に合いましたよ。

―社長に就任された当初、どのような苦労がありましたか?

田部さん

就任して初めて、会社に多額の借金があることを知りました。あと、ちょうどその頃、徐々に取引先の縫製メーカーが海外生産に移行し、仕事もなくなって来ている状態で、地元の手袋メーカーさんに「今後は海外で作るからお宅に仕事がないんですよ。」と平気な顔で言われてですね。同じ地域でお仕事させてもらっていてもつながりはその程度のものなのかなと思うところがありました。それでも、「こっからどうにかせなあかんな。」と必死に考えていく中で、同業の先輩社長の紹介もあり、オリジナルデザインによる企画提案型の営業を行うようになりました。まずは、お客様に自社の製品を見て驚いてもらうことを目標として、毎年開催される展示会への出品を始めました。2004年に業界に先駆けて導入したスパンコール刺繍機を使った商品がヒットしたことで、そこから業績を少しずつ回復させることができました。今思うと、分からない中でも何でも相談すると一緒に必死に考えてくれた同年代の社員がいたことがとても幸いでした。

業界に先駆けたスパンコール刺繍商品

業界に先駆けたスパンコール刺繍商品

―2013年にさらに経営方針を大きく変更されていますね。どのように変更されたのでしょうか。

田部さん

受注は人に驚きと感動を与えられるような、僕らがやりがいを持って取り組むことのできる仕事に絞ることにしました。これで売上が下がったらどうしようかという不安感がありました。しかし、現在では、経営方針を変える前と比較して、受注数は半分以下、平均加工単価は2倍近くにまで引き上げることができました。正直、今もコロナの影響で厳しい状況が続いていますが売上の落ち込みに対して、様々な対策を打ったり、業界に対して影響を与えたりすることができるようになり売上を維持できています。これも価値のある仕事が成長させてくれたのだと思います。現在の目標は、刺繍を通じて日本のファッションブランドの成長に貢献して、世界へ進出していく後押しをしていくことです。

刺繍を施す職人の作業の様子

今も昔も重要な部分は職人の手作業が光る

―経営方針を変えたのには、何かきっかけがあったのでしょうか?

田部さん

東日本大震災がきっかけです。東北の取引先は本当に厳しい状況でした。それまでは、仕事は単なるお金のやり取りだと思ってやっていました。できることと言えば、金銭面や物資の支援くらいで、「自分は今まで何をやっていたのか?」と凄くショックを受けました。一方で、業界内での支え合いができていないようにも感じました。当時は、受注が止まっていて仕事がなかったこともあったので、四国内のすべての繊維業者を何ヶ月もかけて回ることで、業界の状況や地域性、社会の中での位置付けを知ることができました。繊維業界では、コスト重視の大量生産を行う商売が慣例となっており、当時のタナベ刺繍も同じですが、そこで働く社員が疲弊しているという状況でした。これをきっかけに「単に売上を伸ばすためのコスト重視の仕事は辞めよう。」と思い、現在の経営方針に至りました。

―震災が田部社長にとっての大きなターニングポイントだったのですね。

田部さん

そうですね。落ち込んだ業界を救うためには、お金だけじゃ足りないんだと思いましたね。いくらお金があっても本当の意味で誰か(取引先)を助けたり何かを変えたりっていうことは、できませんでした。その経験が、自分の中の価値観を大きく変えたと思います。当時は何もできなかったですが、経営方針を転換して、約10年が経って、自社に力が付いてきたことはもちろん、業界内でも良い影響を与えられるようになってきたと実感しています。

  タナベ刺繍新人歓迎会の様子  

タナベ刺繍新人歓迎会

-田部社長は昨年「セトウチメーカーズ」という組織を立ち上げられていますね。きっかけはなんだったのでしょうか。

田部さん

コロナ禍での売上減少がきっかけです。弊社だけでなく、地元の他の繊維メーカーも同様かそれ以上に厳しい状況で苦しんでいました。これまでの経験から、自社だけが助かればいいという考えは嫌だったので、「何とかこのピンチをみんなで脱する希望を持たなければ」と思い、動き出しました。

セトウチメーカーズ展示会の看板

-メンバーはどのように集められましたか。

田部さん

香川県中小企業家同友会東讃支部で顔を合わせながらお互い切磋琢磨してきた仲間でもある繊維メーカー6社に声をかけて「セトウチメーカーズ」を結成しました。

  セトウチメーカーズ参画メンバーの集合写真

-参画メンバーからの反応はいかがでしたか。

田部さん

セトウチメーカーズに誘ってくれたおかけで、セトウチメーカーズでの展示会が1つの目標になった、また、メンバーからのアドバイスを商品開発に役立てている、参画企業間でコラボ製品を開発・販売し、商品のコンテンツが増え、顧客層が広がったという会社があり、メンバーからは参加してよかったという声を聞いています。

  セトウチメーカーズ参画メンバー  

(左)株式会社WHOVAL 取締役 猪野氏、(右上)アーバン工業株式会社 内海氏、(右下)津田産業株式会社 代表取締役 津田氏 

―セトウチメーカーズを運営される中で、ご苦労はありましたか?

田部さん

メンバーには、OEM主体の会社が多かったので、商品の作り方は分かるが、どうやって売ればいいのか分からないことが一番の課題でした。そこで、お互いにみんなで分からないことを教え合い、ネット通販や自社ブランドの立ち上げなどに取り組んできました。昔はライバル同士だったメンバーが、活動を通して同じものづくりの志を持ち、互いの弱点を補い合う仲間となりました。セトウチメーカーズを結成していなかったら、社員の解雇や廃業をする会社があったかもしれません。今も苦しい状況ですが、頑張る方向や自分たちの役割が見えているので、会社も社員も踏ん張ることができています。

  セトウチメーカーズでの展示会の様子

―販売会を開催されていますね。手応えはいかがでしょうか?

田部さん

お客様と接する機会を数多く持つことができ、メーカー直販だからこその強みに気づくことができました。メーカー直販だと、お客様の細やかなこだわりにもお応えすることができます。例えば、カバンの取手の色を変えたり、少しサイズを大きくしたりすることなどです。私たちにとっては、作る過程に影響はないので、負担も特にありませんし、何よりお客さんにとても喜んでもらえます。卸売り業者を通じての販売だと、こんなことはできないです。

―セトウチメーカーズの今後の展開について教えて下さい。

田部さん

今後は、定期的にイベントを開催することで、お客さんにセトウチメーカーズを認識してもらいたい、宣伝を工夫してもっと集客ができるように取り組んでいきたいと思っています。そこでまず、瀬戸内地域のみなさんに深く知ってもらうためにメンバーの各地元でファミリーセールを開催しようと考えています。自社だけではなかなか難しいですが、チームを組んだからこそできる取組だと思います。

―最後に、田部社長ご自身の今後の目標を教えてください。

田部さん

瀬戸内を日本のイタリアにすることです。イタリアと言えば、イタリア料理やワインはもちろんのこと、ファクトリーショップでおしゃれな服を仕立ててもらったりとかそういうファッションのイメージもありますよね。瀬戸内もそういったイメージをもってもらえるようにしていきたいなと思っています。瀬戸内に来れば、おいしいものがたくさんあって、そこでファクトリーショップがたくさんあって、お気に入りの逸品に出会えたり、自分専用の服を仕立ててもらったりと。ものづくりの聖地として観光に来てもらい、僕らの日常や地域の人や文化に触れてもらうことで瀬戸内地域の雰囲気を感じて、楽しんでもらうようなそういう地域づくりをしたいと思っています。

セトウチメーカーズでの展示会の様子 掲載日:2022年1月7日 取材者:Y・T