「結い」の心を大切にしたい、その想いから始まった
出口 昇さん 株式会社結プロジェクト 代表取締役
徳島県佐那河内村は、県都に隣接しながら、美しい里山の原風景が残る、県内唯一の村です。
千年つづく村の「結い」の心に動かされ、築120年の古民家を改修し、ここでしか味わえない価値とおもてなしを提供しながら、訪れる人も村の人も、そして働く社員も幸せになれる、理想のカタチに挑戦し続けている、株式会社結プロジェクト代表取締役の出口昇さんにお話を伺いました。
―佐那河内村に来られる前は何をされていたんですか。
出口さん出身は広島で、社会人として、地元の大手スーパーで販売営業を10年ほど経験したあと、29歳の時にホテル業界に転身して、いきなり支配人になったんです。スタッフの教育から現場のオペレーションまで、大変苦労しました。その後、独立してホテルや旅館のオーナーさんから、施設運営のディレクションの仕事をもらうようになったんです。オーナーさんと現場の間に入って、サンドイッチ状態にもなりますが、それが私の性に合ってたんですね。現場の要は人づくりです。一つの仕事が終わったら次の現場へと移っていく、そんな生活を長らく続けていました。
―佐那河内村で事業をはじめるきっかけは何だったんですか。
出口さん佐那河内村とのご縁は、徳島県内で野菜の仕入れ先を探していたときに、たまたま村に自然栽培の野菜があることを聞いて、アプローチしたのがきっかけです。そのとき役場で世話役をしていた松山さんとの出会いが、人生を変える大きなターニングポイントになりました。
あるとき、松山さんから、「地域おこし協力隊の中に、農家民泊をやりたいという女の子がいるので会ってもらえないか」と相談がきて会いに行ったんです。そのとき、その子が滞在していたのが、「旧高木邸」という築120年の古民家だったんですよ。
それから数ヶ月して、その子が結婚して村を離れると聞いて、松山さんにすぐ大家さんにつないでもらったんです。そろそろ宿泊業をベースに何か事業をやっていきたいと考えていたので、この古民家なら自分の経験が活かせると。一目惚れですね、ピンときたんです。中途半端な気持ちではやりたくなかったので、本籍もすぐに移しました。
―佐那河内村のどんなところに惹かれたんですか。また、社名の由来にも何か関係があるんですか。
出口さん「結い」というのは、農村社会に古くからある慣行で、屋根の葺き替えや田植えなど、人手が足りないときに、みんなで助け合って作業をやり遂げるという精神なんです。村には、この慣行が残っていたんですね。だから、より惹かれたのかもしれません。
少子高齢化が進んでいく、これからの時代には、まさにこの「結い」の助け合いの精神が必要だと思っています。そうした思想をもってビジネスを通じて地域とも関わっていきたいとの想いから社名を「結プロジェクト」にしました。
―事業開始までに苦労されたことは何ですか。
出口さんなんとかなると、甘く考えていました。想定していた以上に、床はほとんど腐っていて、蔵も見えないほどの荒れ放題だったんです。まず掃除からと思っていると、松山さんがいろんな方を紹介してくれて、ユンボでの整地や庭の剪定など、村の人には本当に助けられました。
はじめの頃は、「あそこで何をやってるんだ」という声もありましたが、知り合いだった、淡路島の有名なうどん屋さんの協力で看板商品の販売を始めたところ、その巻き寿司が大ヒットしたんです。それがきっかけで、村の人にも当社の取組を知ってもらうことができました。社長さんも、わざわざここに来て一緒に販売してくれたんですよ。
―この段階で将来のビジネスのイメージはできていたんですか。
出口さん正直、あと5年はかかると思っていましたが、ヒット商品のおかげで知名度が一気に上がり、当時は週末に100名を超えるお客さんが来てくれました。一棟貸切の宿「千年乃宿 旧高木邸」も開業して、隣接の土産品店「府能商店」では、巻き寿司以外にも、こだわりの商品を販売しています。
その後、巻き寿司は、自分達でオリジナル商品を開発することにしました。著名な料理人の方にも監修してもらい、ようやく4ヶ月後に完成したのが、オリジナルの巻き寿司「千年巻き」です。村の人にアンケートを取ったら、「海の幸が食べたい」という声が最も多かったので、海鮮巻きから始めて、今では、田舎巻き、玉子巻き、キンパなど、5種類に。
―いろんな人との出会いが事業に影響されたんですね。ほかにどんな出会いがありましたか。
出口さん株式会社E-yo Tokushima in Japan(徳島県阿南市)代表取締役の田井文枝さんとの出会いもターニングポイントになりました。
田井さんは、元四国放送のリポーターで、徳島県の素晴らしさや文化を伝える活動のほか、高齢化社会の手助けになるようにと、県産食材を中心に簡単調理の無添加ミールキットの製造販売などを行っています。
特に、無添加の生味噌汁『OMISODAMA』は、お食事処「ゆいね」でも取り入れています。見た目も可愛いし、お椀に入れてお湯を注ぐだけで、味噌本来の風味も味わえるんです。
自前で作れば原価は抑えられますが、店頭での購買にもつながるので、あえて活用させてもらっています。女性目線でパッケージも素敵なので、Win-Win-Winですね。
また、当社の新しいロゴマークは、田井さんから紹介してもらったデザイナーさんにお願いしたんです。縦横の形が<結い>を表現していて、無限大の可能性や、暖簾にすると家紋にも見えるようにと、いろいろイメージしてくれました。コンセプトカラーの朱色も、縄文時代からある、一番古い色を採用してもらい、これで会社全体のブランドイメージもしっかりしました。
お食事処「ゆいね(結い音)」は、<結いが活きる音>という意味です。結いの精神が活きて、<音>を奏でるようなサービスが提供できるようにと。「結プロジェクト」に携わってくれた方、田井さんや村の人たちとの関係も、すべて結いの精神が活きています。
―村で唯一の中学校と「ふるさと学習」という授業をやっていると聞きました。具体的にどんなことをしているんですか。
出口さん「ふるさと学習」は、中学2年生が対象の月1回の授業です。看板製作のクラフトチーム、地元の特産品を使った商品開発チーム、お食事処「ゆいね」のメニュー開発チームの3チームに分かれています。
商品開発には、田井さんにも協力してもらって、生徒のアイデアがそのまま活かされた製品に仕上がりました。これからスダチゼリーや、徳島県産のユコウを使った商品開発も行っていく予定です。
地元採用が当社の目標でしたから、学校から話がきた時は、とてもうれしくて。村には高校がなく、ほとんどの子供たちは卒業後、村から出て行きます。だから絶対に心に残る授業にしたいと思いました。
実は、春休みに第1期生のお姉さんが、一人でふらっと来てくれたんです。理由を聞くと、「この春に大学を卒業して先生として村に帰ることになったので、村おこしもやっていきたい。でもまず何から始めたらいいのかわからなくて。そしたら、家ではおとなしかった弟が「ふるさと学習」のことを楽しそうに話してくれたことを思い出して、ここに来たんです。」と。この時は本当にうれしかったですね。そのあと家族全員でも来てくれました。
私たちの活動が、少しずつ村の人たちに支持されるようになってきた。「ふるさと学習」に取り組んだことは、まさにその第一歩につながったんです。
―これからのビジョンや展望は何ですか。
出口さん徳島空港から1時間、東京からわずか3時間の立地。この千年の村で、村の絶景が一望できる最高のロケーションを活かした、ドッグランやキャンプ場のほか、ネット環境がいいので、山の斜面にある棚田の立地を活かして家庭菜園付きのサテライトオフィスや、移動式の簡易宿泊施設として棚田ホテルや棚田サウナにも活用していくことを構想しています。
やりたいことやアイデアは膨らんでいますが、財力が追いついていないんです。当社の考えを理解して一緒にやってくれる、企業やスポンサーさんを探しています。今手伝ってもらっている高齢者の方にも、少しでも早く、その景色を見せてあげたいし、見てもらいたいんです。
単に村の人口が増えればいいというのではなく、本当の意味で生きがいや幸せを感じられる人を増やしていきたい。事業を通じてスタッフの生きがいにもつながり、その結果として、お客様にも喜んでもらえるようなビジネスをやっていきたい。そうやって雇用を増やしていかないと、この村でビジネスをやっていく意味が無いと思っています。
掲載日:2022年11月4日 取材者:Y・H