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想いで繋ぎ、願いで紡ぐ、三原村「どぶろく」ものがたり。

東 久美さん 今西 美穂さん 土佐三原どぶろく合同会社

土佐三原どぶろく合同会社のみなさん左から、池本 富喜さん、齊藤 鈴代さん、東 久美さん、今西 美穂さん、森本 文さん

四国の中で、東京から最も時間的距離が遠いと言われる高知県幡多郡三原村は、山々に囲まれ、日本の古き良き原風景が広がる風光明媚な村です。寒暖差や良質な水に恵まれた県内有数の米所としても知られ、その美味しいお米から造られる、“どぶろく”をはじめとして様々な特産品であふれています。

自分たちを支え続けてくれた方々への恩返し、そして三原村を想う気持ちを糧に、伝統の“どぶろく”を復活させ、今日まで受け継いできた、土佐三原どぶろく合同会社の東久美さん、今西美穗さん外3名のみなさんにお話を伺いました。

高知県幡多郡三原村の風景

―三原村で”どぶろく”を造り始めた最初のきっかけは何ですか。

今西さん

最初のきっかけは、「どぶろく特区」への認定です。平成15年(2003年)の構造改革特区制度により、“どぶろく”造りが可能になり、どぶろく文化の根付く三原村でも申請を試みましたが、農家民宿の醸造・提供に限るという大きな壁に直面しました。農家民宿のない三原村ではダメだと跳ね返され、さすがに無理かなと半分諦めていましたね。

しかし、当時の三原村商工会の会長(現村長)だけは「一人でもいいからやるんだ!」と、農家民宿以外でもできるように国と交渉してくれたんです。村のために“どぶろく”を復活させたいという強い思いに、どこか魅せられるものがありました。その姿に共感した村の仲間たちと一緒に頑張った結果、農家民宿以外に、農家食堂でも醸造・提供が可能となり、平成16年(2004年)に、晴れて特区の一員になれたんです。

今村さん写真

―認定後の農家の方々の様子はどうでしたか。

今西さん

最初は興味を示す農家も多かったのですが、結局3軒の農家食堂が、平成17年(2005年)10月に濁酒製造許可を取得して、“どぶろく”造りを始めました。不安の方が大きかったのですが、100年ぶりに息を吹き返した“どぶろく”なので、せっかくならやってみたいと思ったのがきっかけですね。

―最初はどんな苦労がありましたか。

今西さん

当時は、いざ始めようと思っても何から始めればいいのかさえ分かりませんでした。レシピもノウハウも何もなくて、とにかく何度も何度も高知県工業技術センターへ相談に行きました。平成18年(2006年)から「三原村どぶろく農林文化祭」も始まりましたが、最初の頃は、味も安定せず、お客様から厳しい意見をたくさんいただきました。

今村さん写真

―そこからどのようにして会社設立までたどり着いたのですか。

東さん

いろんな失敗を経て、試行錯誤を繰り返すうちに味や生産量も安定し、評判も良くなっていきました。「三原村のどぶろく文化」が少しずつ醸成されると、2年ぐらいで製造農家も7軒まで増えました。それぞれが農家民宿や農家食堂を営みながら、自家栽培米を使って添加物を一切加えず、火入れをしない生の“どぶろく”を毎日丹精込めて造っていました。“どぶろく”は同じ条件で仕込んでも、全く同じ味にはなりません。使うお米や樽、麹の種類や量、発酵期間など、造る人によって少しずつ風味が変わるので、それが“どぶろく”の奥深さや面白さでもあります。三原村は、7種類の特徴ある“どぶろく”が味わえると評判にもなり、それが強みとなってアピールもしやすくなりました。「どぶろく7本呑み比べセット」の商品化はその一例です。

平成28年(2016年)7月には「土佐三原どぶろく合同会社」を設立しました。法人化したことで、各々の納品作業が楽になり、資材も安く共同で買えるなど、作業や費用の面で効率化が図れるようになったほか、7軒の農家がより一層一丸となって三原村の“どぶろく”を発信できるようにもなりました。

どぶろく特区ののぼりの写真

―田舎ならではの強いつながりのおかげですね。

東さん

私は最後に仲間入りをしたんですが、最初は変に気を遣ってしまって、あれこれ聞くのも罪悪感がありました。どこかを真似たような味になれば、それぞれの農家が持っている特徴も伝わりにくくなるので、相談ができなかったですね。それに私たち夫婦はお酒が一滴も飲めなかったので、匂いがキツいからと誤って捨ててしまうようなこともあり、大変苦労しました。今ではお互い気軽に試飲を頼んだり、アイデアを出し合ったりするほど、仲良くなりましたね。

東さん写真

―会社として動き出してから、何か変化はありましたか。

東さん

当時は、四合瓶(750ml)と一升瓶(1800ml)のサイズしかなく、商談では、「7種類の陳列にはサイズが大きすぎるから」と断られるケースが多かったんですが、新たに500mlサイズ瓶で新商品を開発したくても先立つものがなく悩んでいたところ、四国銀行さんからクラウドファンディングに挑戦しないかと声を掛けていただき、“どぶろく”のイメージを一新したスタイリッシュなデザインにする試みにチャレンジすることができました。

今思えば、このクラウドファンディングへの挑戦が、会社として合同で造り始めた“どぶろく”のデザイン開発の足がかりになりました。

左、どぶろく合同会社の女将5名の写真 右、どぶろくブルー瓶の写真

―販路を広げていくために、次の道筋が見えてきたんですね。

今西さん

そうですね。ただ、ちょうどそのタイミングでコロナ禍になってしまったので、外出規制もあり売上げが半分くらいにまで下がりました。もう会社は継続できないかもしれないという話も出ていましたが、今までお世話になった村役場や商工会に対して、いまさら辞めるなんて口が裂けても言えなかったんです。そんな中で悩み続けた結果、辿り着いたのが、新商品「甘酒(AMAZAKE)」の開発でした。

今西さん写真

―新商品「甘酒(AMAZAKE)」の開発のきっかけは何だったんですか。

今西さん

甘酒は、広い世代に受け入れられており、特に若者向けにはピッタリの商品で、色々と研究していくうちに、火入れしていない「生」の甘酒にすれば、香りや栄養価の面で通常の甘酒とも差別化できることがわかりました。癖のない香りで、疲労回復や美容効果の高い要素は、若者にハマる可能性を十分に秘めていました。「勝負するならこれだ!」と思って、新商品「甘酒(AMAZAKE)」を販売したところ、大ヒット商品となり、コロナ禍で売上げが減った分も十分カバーできるほどに売れました。ある意味、コロナ禍にならなかったら、辿らなかった路ですね。

甘酒の写真とチラシ

―その後の商品展開などについて聞かせてください。

東さん

甘酒(AMAZAKE)に関しては、ミニボトルの他にパウチでも販売しており、三原村のゆずを利用した「ゆず味」も展開しています。甘酒の製造技術を活かして、メーカーに卸すために、アイスキャンディーの原料となる甘糀の開発も行いました。でも、この甘糀の開発がまた苦労したんですよ。アイスクリームの原料にするには甘糀の糖度を大きく上げる必要があるんですが、なんとも一筋縄ではいかず、いつものように高知県工業技術センターには度々お世話になりました。夜な夜な試作をするような日々を送ることもありましたが、その努力も実り、ついに糖度が50度を超えたときは、みんなで手をたたいて喜びましたね。

東さん写真

―やっと明るい兆しが見えてきたんですね。

東さん

まだまだ後継者のことなど、今すぐにでも考えないといけないことが山積みなんです。地域おこし協力隊のお試し移住制度を利用するなど、とにかく三原村の伝統である“どぶろく”の文化を絶やさないためにも、これからの世代につないでいくために考えることがたくさんあります。

特に新酒の“どぶろく”造りでは、これまで各農家がそれぞれで造っていた“どぶろく”を1つの工場に集約して造ることになりました。

令和5年(2023年)10月には、共同製造した新酒の“どぶろく”が完成しました。商品名は「あのこ」と「このこ」。「我が子のように造ってきた“どぶろく”が、多くの人に愛されてほしい」という願いを込めて名付けました。辛口の「あのこ」はより深みのある味わいに、甘口の「このこ」はより飲みやすいお酒に仕上がっています。

また、これまで“どぶろく”の材料に県外の乾燥こうじを使っていましたが、甘酒(AMAZAKE)の素となる甘糀の開発の際に、三原米で作った生糀の製造にも成功したんです。同年2月には、その生糀を用いて、念願だったオール三原村産となる、“どぶろく”の新製品「旨口プレミアム みはらのこ」の発売にもつながりました。

今までは、「すまし部分が好き」と言っていた方も多かったのですが、「旨口プレミアムは、もろみまで旨い!」と飲みほす酒好きのリピーターが増えています。「やっぱり三原米って美味しいがやな」とつくづく感じます。

どぶろく合同会社の女将5名の写真 どぶろく「このこあのこ」の写真 どぶろく合同会社の女将5名の写真

―今後はどのような将来像を思い描いていますか。

東さん

これまで県や国には大変お世話になりました。県の産業振興計画に認定していただいたおかげで、新しい商品のデザインから売り場づくりなどのブランディングまで応援してもらうことができました。商標登録の際には、四国経済産業局や高知県のINPIT知財総合支援窓口の担当者にもお手伝いいただいて、ここまで来ることができました、感謝しています。

今後は、「三原村=どぶろく」というイメージだけでなく、この恵まれた自然環境から生まれる「お米」にももっと目を向けてもらい、美味しいお酒は良いお米から生まれるという、三原村の“どぶろく”の原点を、これからも守っていきたいです。これまでたくさんの苦労がありながらも、その度に人に恵まれ、支えられてきました。また、支え合ってきた仲間が居たからこそ、ここまで来られましたし、これまで受け継がれてきた、三原村の伝統である“どぶろく”の灯を絶やさず、これからの世代に繋いでいきたいです。

ゆくゆくは全国に三原村の“どぶろく”が知れ渡り、三原村そのものを好きになってくれる、そんなお手伝いができたらと思っています。今はもう楽しい未来を思い描きながら、前を向いていくことだけを大事にしていきたいですね。

東さんの写真 田園風景の写真 どぶろく合同会社の女将5名の写真 掲載日:2024年5月13日 取材者:T・N