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高知の宝、土佐和紙。伝統と革新が織りなす魅力

井上 みどりさん 土佐和紙 井上手漉き工房

井上 みどりさん

高知県土佐市に明治から4代続く手漉き和紙の工房があります。和紙は、かつて情報の伝達や記録の保存を担い、私たちの生活に欠かせないものでした。時代の流れとともに、私たちの生活から遠ざかった存在となりつつも、土佐和紙は1000年以上の時を経た現代でも静かに脈々と伝承されています。「伝えていきたい」と思わせる土佐和紙の不思議な力や新しい可能性に挑戦し続ける、井上手漉き工房4代目の井上みどりさんにお話を伺いました。

―井上手漉き工房は、明治から4代続く手漉き和紙の工房ですが、井上さんが土佐和紙の製造を始めた最初のきっかけは何ですか。

3代目の義父が61歳で急逝し、その後、義母が細々とでも工房を切り盛りしてくれていたのですが、10年ほどして「もう工房を続けるのは難しい。」と義母から相談がありました。その時、私は「このまま工房を閉じていいのだろうか?」と自問自答を繰り返しながら、いろんな方に相談したのですが、ほぼ全員に「手漉き和紙の業界は厳しい、工房の継続は考えない方がいい。」とアドバイスを受けました。でも最終的に行き着いた自分の答えは「やっぱり、この工房を残したい」でした。先輩職人さんや義母からは「会社は辞めるな、定年まで勤めて、趣味で細々とやればいい」と、気遣って言ってくれたのですが、義父や義母の跡を継ぐと決め、当時の会社を退職しました。覚悟を決めていたので、仕事を辞めることに躊躇はなかったですね。

でも振り返ると、実は私が土佐和紙の職人になろうと思った大きなきっかけは、義父が作った和紙の美しさに改めて気づいたからかもしれません。光を透過した和紙の水と繊維から成り立つ一本一本の模様がとても繊細で美しく、自分も「義父のような土佐和紙職人になりたい!」と強く思いました。

和紙の写真

―最初はどのような苦労がありましたか。

井上 みどりさん写真

技術習得と工房経営の両方で眠れない日々が続きました。「寝ながら腕を動かしていたよ」とよく言われていました。夢の中でも手漉きの練習をしていたんですね。

手漉きの技術は、義母に教えてもらいました。義父が現役のときは、自分が和紙作りに携わるなんて夢にも思っていなかったので、「あーお義父さん今日も和紙漉いてるな・・」と義父の背中をチラ見するくらいでした。

自分が職人になってみて初めて、義父の作った紙の繊細な美しさ、その奥深さに気づかされたんです。隅々にまで意識が行き届いていて、全く次元が違うと感じました。

土佐和紙職人は10年で一人前と言われており、体力的にもきつい仕事なので、60歳を境に引退や生産を減らしていく職人さんは多いです。50歳から始めた自分は、すべてが遅すぎたと感じていましたし、当時は、職人としての技量不足だけでなく、コロナ禍の中での工房の経営等、あらゆる心配事が一気に突き刺さってきて精神的にも辛かったですね。

ただ、ある手漉き和紙歴60年以上の大先輩の職人さんから「ワシの技術はまだまだじゃ。」という言葉を聞いた時に、自分の傲慢さに気づかされました。「たかが数年携わっただけで上手く漉けないと落ち込んでいる場合じゃない。坦々と和紙作りに取り組み続けていこう。」とさらに覚悟が出来ました。義父の漉いた美しい和紙を眺める度に身が引き締まります。

―和紙はどのような使途が最も多いのですか?また、機械漉きとの違いや手漉きの魅力は何ですか?

土佐和紙は今でも300種類ほど生産されていて、用途も様々です。障子、ふすま、壁紙、提灯などに主に使われていますが、アクセサリーなどの雑貨や版画などの芸術作品にも幅広く使われています。

簀(す)と呼ばれる道具を使った手漉き和紙には、紙に簀の目と呼ばれる薄い線が入っていて、昔はそれが機械漉きとの違いでしたが、近年は機械漉きでも簀の目が再現できるようになったため、見た目ではほとんど違いがわからなくなりました。ただ、役割には違いがあり、機械漉きは大量生産に、手漉きは少量生産に適しています。

また、植物と水と人の手から生み出される手漉き和紙は、「究極のサステナブル」な素材であり、日本人が古来大切にしてきた「自然と共存しながらものづくりをする」という精神を現代でも学べる場として、後世に残していく価値があると思っています。

温度や湿度の微妙な変化を見極め、天然素材の持ち味をいかにうまく引き出すか、自然との対話こそが手漉き和紙の難しさであり、一番の醍醐味でもあります。

土佐和紙の写真

―手漉き和紙のなかでも、土佐和紙の魅力や手づくりの楽しさはどういったものがありますか?

土佐和紙の最大の魅力は、伝統を守りながらも革新を恐れない地域性や、その懐の深さにあります。一つの伝統的技法を守りつづけることもとても大切です。ただ、土佐和紙職人は創意工夫して新しい和紙を生み出すことが好きみたいで、「高知で生まれたら土佐和紙や!」というように、職人の個性や多様性を積極的に受け入れる風土もあります。これは、現代社会の課題にも通ずる人々の多様性や個性を尊重する精神を、土佐和紙は昔から体現してきた証とも言えるでしょう。

土佐和紙が愛され続ける理由は、まさにバラエティに富んだ種類の多さにあり、和紙の特徴は実はその産地の職人の気質にもよるのかもしれないと感じています。高知は、いろいろな和紙づくりに挑戦しやすい土壌があります。楮以外のいろいろな植物でも和紙づくりを試みるなど、常に新しい和紙づくりに挑戦するパイオニア精神は「土佐和紙は10年先を行っている」とまで言わしめるほどでした。植物以外にも「簀桁(すけた)」や「金簀(かなず)」などの道具を全国に展開したのも、表彰状を子どもが漉いた和紙で作り始めたのも、土佐和紙からだと先輩の職人さんから聞いています。

―井上手漉き和紙工房独自の取り組みはありますか?

1000年以上の歴史をもつ土佐和紙づくりを楽しんでもらうために、タペストリー、ランプシェード、エコバック等の様々な土佐和紙づくりの体験や、ものづくりの現場を見て五感で感じてもらう工場見学(オープンファクトリー)も受け入れています。学生との共同開発として、廃棄する生姜の繊維を使った商品開発等にも取り組んでいます。

井上手漉き和紙工房の写真

―それらはやはり土佐和紙の魅力を発信するためでしょうか。

そうですね。以前から高知県内で出張ワークショップをやっていましたが、和紙生産の繁忙期(12月から3月)を避けた時期に受け入れを始めました。次第に様々な方に興味を持っていただけるようになり、今年の来訪者は昨年の3倍以上増え、約150名が工房に来てくださいました。

井上手漉き工房のワークショップは、技術、和紙の特徴や魅力をどう体験に落とし込んでいくかを意識した内容となっています。体験を通じて和紙づくりの大変さ以上に素晴らしさを感じてもらえたらと思っています。

ワークショップの写真

―体験には海外の方も来られていますよね。反応はどうですか?

海外の方は、「和紙を学びたい」という想いを持ってみなさん来られますね。例えば、「母国の有名な植物を使って和紙を作りたい」といった方や、絵本作家の方であれば、「自分の絵本用の紙を作りたい」というように、それぞれの想いを胸に、わざわざこの工房に来るためだけに遠方から高知県まで足を運んでくださる方もいます。土佐和紙の技術が世界に発信され、継承されていくことはすごいことであり、理想の形だと思っています。

ワークショップの写真

―他機関との連携もいろいろとされていると思いますが、一般社団法人Re-Generationと共催の「土佐和紙キャラバン-楽しむ、感じる、土佐和紙と高知の魅力をここで体感-」はどのような考えからできたイベントでしょうか?

きっかけは、あるお母さんの「もっと子供が伝統に触れる場があれば・・。」という声を耳にしたことでした。「より多くの子供たちに土佐和紙の魅力に触れてもらえる場を自分たちから提供しよう」という想いが生まれ、県内外で「土佐和紙キャラバン」という名前で出張ワークショップを開催していくことを決めました。従来の手漉き和紙体験は、大量の水と専用の道具が必要なので、設備の整った施設での開催が主流でしたが、もっと気軽に体験してもらいたいという想いから、土佐和紙の伝統的な製法を参考に、シンプルに出張ワークショップができるように道具も自作しました。身近なものを使って和紙づくりができるという面でも、土佐和紙の自由さ、柔軟さが表れていますね。

また、文化庁の調査で、文化に興味がない・触れたことがない子供が98パーセントにものぼるという現状を知り、近年SDGsや江戸時代の暮らしがよくフォーカスされる中で、手漉き和紙づくりは、水と植物と道具さえあればできるので、日本のものづくりの原点を伝える最適な題材だと考えています。この手漉き和紙のワークショップを通じて、子供たちに日本のものづくりや伝統文化に触れ、創造性を育む機会を提供していきたいという考えからできた取り組みです。

土佐和紙キャラバンの写真

―今回、土佐和紙キャラバンを開催して、どのような方々の協力が得られましたか。また、今後の土佐和紙の維持発展にはどのような連携が必要だと思われますか。

土佐和紙キャラバン初回は「ららぽーと甲子園」で開催し、高知県の副業人材マッチング事業等を通じて多くの方々に協力いただきました。今後は手漉き組合や県の方との連携もしつつ、さらに和紙を使う作家さんとも連携をとっていきたいです。土佐和紙キャラバンは和紙体験をする場だけではなく、作家さんの作品も展示販売し、作家さんがお客様と繋がれる場としても貢献したいです。和紙の作り手、使い手、そしてお客様が繋がり循環が生まれるところまでを目標にしています。

―単体で実施されたイベントにもかかわらず、2日間で約150人もの参加者が集まったのは素晴らしいことですね。

土佐和紙キャラバンの写真

手ごたえはありました。しかし、150人中、和紙を知っていたのはなんと2人だけ。しかも、その2人は小学生で、教科書に出てきた「手漉き和紙」という言葉を知っているだけでした。興味深いのは、高知県出身で和紙を仕事で使っている方でさえ、土佐和紙の購入方法を知らず、代わりに京都からわざわざ仕入れていたことです。こんなにみんな和紙のことを知らないなら、「まだまだいける!これはむしろ伸びしろしかない!」とプラスに捉えることができました。

イベントは大変でしたが、参加者の生の声を聞けたことも大きな収穫でした。特に印象的だったのは、3歳の男の子とお父さんが来た時に、「3歳でもできますか?」とお父さんに言われて、「できますよ」と言って教えたところ、3歳の男の子が和紙づくりを上手にこなしたこと、またお父さんがその様子に驚き嬉しそうに撮影していたことです。今の子供たちは、和紙に触れる機会が少ないので、商品や作画を見せるだけではなかなかイメージしにくいと思います。実際に和紙づくりの工程を見て「植物の繊維はふわふわと柔らかい」、「こんなにたくさん水がいるんだ」といった記憶を残してあげることが、和紙の新しい継承のカタチだと考えています。

―今後の土佐和紙及び井上手漉き工房の課題や展望について教えてください。

井上 みどりさんの写真

土佐和紙の生産規模は縮小していますが、新たな原料の開拓や、重要文化財を修繕する材料、アーティストの作品への活用など、土佐和紙の可能性はまだまだあります。

しかし、課題は、これらの可能性をビジネスにつなげ、収益を上げていくことです。具体的には、手漉き和紙の生産販売だけでなく、体験観光やPRイベントなどを通じて、収益を上げる方法を模索しています。後継者不足もよく耳にしますが、最近工房に体験にくる20代から30代の若者は、伝統工芸に未来を感じていると話してくれます。興味関心がある若者は意外と多いかもしれませんが、それを受け入れ、生業としていけるまで育てることが難しいのが現状です。

これらの課題解決には、多くの方の協力が必要です。みんなで連携して新しい収入を得る仕組みづくりを行い、モデルケースが一つでもできれば、それを成功事例として横展開していきたいと考えています。

―最後に、井上さんにとって土佐和紙とは何ですか。

「土佐和紙は、伝統と革新が調和した、ものづくり界のパイオニア・リーダー的存在」ですね。土佐和紙は、常に時代の一歩先を行く挑戦者としての姿勢を持ち続け、日本の伝統産業に新たな可能性を示してきたと思います。私にとって土佐和紙は、「新たなものを生み出そうとする象徴」。このマインドを次世代に継承していくことが大切だと思っています。

井上 みどりさんとご家族の集合写真写真 画像提供:井上手漉き和紙工房
掲載日:2025年1月14日 取材者:H・K、S・T