木工の聖地、再び徳島へ「来て見てみい、とくしま。」の挑戦
山田佳一郞さん、鷺池博行さん、秋月修さん、村澤一晃さん
「来て見てみい、とくしま。」実行委員会 https://kitemitemii.com/

木工家具の名産地として名を馳せていた徳島県。近年のライフスタイル・婚礼慣習の変化等により、国内の木工業界は次第に縮小しつつある中で、新たな木工の姿・形に挑戦しています。
2023年からはオープンファクトリーイベント「来て見てみい、とくしま。」を開始し、第2回が2024年11月12日から5日間開催され、来場者数は1,000名を超えました。ネーミングは、阿波弁の「一度は来てみれば」「見て、試してみれば」からもじったもので、徳島のものづくりの現場を見て、作り手の想いを感じてほしいという想いが込められています。
2人の発起人と県外から取組を支える2人のデザイナーにお話を伺ってきました。
昔、徳島は静岡と並んで鏡台の生産が非常に盛んな産地でした。しかし、時代の変化に伴い、婚礼のかたちが変わり、鏡台などの家具も需要も減少していきました。最盛期は、鏡台に関わる事業者が300社から400社程ありましたが、現在では20社程度にまで減少しています。


―産地として大きな変化を迎える時代だったのですね。
村澤さん特に2000年頃、産地の皆さんが「何か変えないとこのままではまずい」と強い危機感を持ち始めたと感じています。まずは、鏡台の椅子を小椅子に変えたり、大きなテーブルの端材を使った新製品開発など、小さな取組から始めました。展示会などで出会ったメーカーに対して、少しずつ徳島の知名度を高めるための活動が行われました。こうした取組の中で、産地の技術は向上し、製品も変わりましたが、それ以上に産地全体の意識が大きく変わったことが印象的でした。
私が秋月さんと知り合ったのは30年ほど前で、当時は東京で開催された見本市に鏡台などを出展されていたのですが、なかなかお客さんが来てくれないという話をしていました。産地の技術をどう活かして、現代的な家具の市場にどうつなげていくか、試行錯誤の時代でしたね。
―高い技術を持ちながらも、市場の需要とのバランスで苦戦していたのですね。
村澤さんそうですね。我々、家具の製造メーカーとデザイナーは、これまで家具屋に依存した販売スタイルが続いていました。家具屋は「昔売れていたものだから、まだ売れる」と言って、婚礼タンスを扱っていたため、我々も辞めたいと思いつつも、辞められないジレンマがありました。しかし、唯一「椅子」だけは、このしがらみからスッと抜け出せたと思うんです。

村澤さんはこれまでのデザイナーとは、一線を画していました。地域の家具メーカーと一緒になって、製品開発のアイデア出しから完成まで、本音でぶつかり合いながら試行錯誤していく姿勢がとても印象的でした。彼のようなデザイナーに出会ったのは初めてでしたね。

私は、村澤さんに対して、デザイナーが指示を出して、メーカーがそれを形にするのではなく、産地と一緒に作り、共に成長していくイメージを持っていました。徳島の木工には、まさにそのような風土があったので、私たち下の世代が産地で新しいことをしていたわけではなく、村澤さんたちが最初に立ち上げたものを、私たちがその上に積み上げていく、あるいは追いついていくことくらいしかしていません。
―村澤さんは最初から地域に根付いた活動を考えられていたのですか?
村澤さんそうでもないです。活動していくうちに、産地とのネットワークが広がり、徳島県への思いも深まりました。独立した当初、デザイナーはメーカーから「先生」と呼ばれていましたが、私はそれが嫌でした。なぜなら、私は図面を描けても実際の製作はできず、むしろ教わることの方が多かったからです。パートナーとの一方的な関係では面白くないし、飲んでもつまらないので、メーカーに行くと最初に「先生って呼んだらもう仕事しません」と言っていました(笑)。

―鷺池さんはよく「徳島を木工の聖地にしたい」とおっしゃられていますよね。
鷺池さん「聖地巡礼」のような感じで、「毎年この時期になると、全国の木工の関係者が徳島に集まる」といったルーティーンや共通認識みたいなものを「来て見てみい、とくしま。」で作りたいんですよね。
―木工業者で行うオープンファクトリーという新たな試み、どういった心境でしたか?
秋月さん2023年の第1回目の開催時には、事業者を9社も集めて、当日に人が来なかったらどうしようと本当に心配でした。
山田さん私は、イベントはまず始めることが大事だと思っています。失敗しても次回へつながる議論ができれば、回を重ねるごとに質が上がり、必ず発展します。初回は開催できたこと自体が成果ですし、思った以上に人が来てくれたので、試みは大成功だったと思います。
村澤さん一回目の開催が決まった時、準備期間がとても短かったので、私にとっては「0回目」の開催といった心境でした(笑)。正直なところ、人が来なくても問題ないと思っていたのですが、徳島の木工産業の魅力はしっかりと発信する必要があると感じていました。ただ「来てね」と言うだけでは人は集まらないので、各メーカーの顧客に「来て見てみい、とくしま。」をどう伝えるかがポイントでした。来て見てみい、とくしま。のカードを作るなど鷺池さんが広報活動に積極的で、彼の熱意を見て「大丈夫だ」と感じていました。
鷺池さん僕は村澤さんから、「大成功どころか、中成功や小成功もないと思って結果に関わらずまずは開催してください」とずっと言われていました(笑)。ただ、他の賛同してくださった方々には、「開催したけど全然人が来なかったな」と思われたくなかったので、正直なところそれが心配でした。

―「来て見てみい、とくしま。」を開催して、反響はどうでしたか?


私は来てくれた人の多さに驚きました。来訪者からも事業者からも喜びの声があり、やって良かったです。鷺池さんがイケイケだったからこそ、人が呼べたと思います(笑)。
―社員さんは協力的だったのでしょうか?
鷺池さん最初は、「社長が勝手にやっている」と冷めた目で見られるだろうと思っていましたが、意外にも社員は協力的でした。一度オープンファクトリーを経験すると、仕事場を「見られる」という意識が芽生えたようです。普段当たり前にやっている仕事が、来訪者に驚きを与えることに気づき、社員のモチベーションがかなり上がったと感じています。「思いがけないところで来訪者が食いつきました。」といった感想も多く、社員を参加させる重要性を実感しました。
秋月さんうちの社員は最初、あまり協力的ではなく、私が当日に向けて工場の準備をしていました(笑)。でも、実際にやってみると、来訪者の方々とのコミュニケーションが嬉しかったんでしょうね。今回は社員から、「開催が近いですが、工場の片付けを始めますか?」と前向きな提案が出るようになりました。

―第1回から第2回にかけて何か変わりましたか?
鷺池さん1回目は2日間の開催でしたが、2回目では5日間に延ばしました。バイヤーだけでなく、週末に一般のお客様にも参加してもらう目的と、事業者側も、5日間の中で参加日を選べるようにしたので、参加しやすくなりました。効率よく9つの事業者を回るには最低でも2日はかかるので、来訪者と事業者の双方がより柔軟に選択できるようにしました。
秋月さん2回目は、来訪者が増えそうな予感がなんとなくしたので、「レセプションパーティーの会場のキャパが心配だ」という1回目とは逆の心配がありました(笑)。実際、鷺池さんのところには5日間で約160名が来ていただき、イベントの規模もだんだん大きくなっています。

―第2回を終えて、課題は見つかりましたか?
村澤さん2回目は、参加事業者数は変わらなかったものの、各社のクオリティが向上し、その結果、集客できる人数も増えました。1回目は来られなかったけれど口コミを聞いて2回目に来てくれた人たちもいました。ズバリ、3回目の課題は「新鮮さ」をどう生み出すかです。
私たちは、このイベントが楽しい雰囲気であるだけでなく、どのようにお客さんに価値を提供できるかが重要だと感じています。様々なイベントを通じて分かったのは、「楽しかった」という感想をもらうのは最初の段階に過ぎないということです。ただ、「楽しかった」という感情はすぐ終わってしまいます。
―「楽しかった」以外で価値を提供するには、何が重要だと思いますか?
村澤さん何度も行きたいイベントになるかどうかは、「ホスピタリティ(おもてなしの心)」や「変化」があるかどうかだと思います。例えば、「新しいメニューに挑戦している」とか、「行くたびに、接客のレベルがすごく上がっている」とか、来る人のモチベーションが「モノ」から「コト」へと変化すると思うんです。私たちは、これまでは「モノ」で人を呼べましたが、これからは「コト」に転換できるかどうかが課題になります。第2回は、その課題を見つけるための良いチャンスになりました。
山田さん「仲間を増やしていく」ことはすごく大事だと思っていて、今回、協賛してくれた県内外の企業が39社になり、多くの仲間が増えました。「関係人口」という言葉がありますが、「来て見てみい、とくしま。」を通じて、徳島の木工の関係人口をどうやって増やし、来てもらえる産地にできるのか、といった視点で考えています。

―徳島の木工産業、「来て見てみい、とくしま。」の今後について、展望を教えてください。
秋月さんまだ参画いただいていない部材メーカーや加工業者など、普段お客様の目に触れない事業者にも参画してもらいたいです。産地全体で連携を強化し、徳島の木工産業をさらに活性化したいと思っています。
村澤さん産地が抱える根本的な課題は、世代交代や職人不足等、様々です。課題解決の鍵は、誰を巻き込むかが重要で、関わる人を増やす企画が必要です。最も成功例として挙げられるのが、北海道の旭川だと思っています。旭川は30年前にデザイナーを世界中から招致した結果、今でもデザイナーの集客人口が多く、関係者からの知名度も高いです。今後、すべての産地は、職人になりたい人、外部から関わってもらう人の両者が一緒に増えないと、「ものづくりは楽しい」と感じる職人が増えてこないでしょう。現在、木工組合に入っていなくても頑張っている若手のクリエイターも実はたくさんいるので、彼らにも将来このチームと一緒に活動したいと思ってもらいたいですね。
山田さん今後のビジョンとして分かりやすい例が、イタリアの「ミラノ」です。ミラノは、世界中のデザインやものづくり、食、あらゆるクリエイティブな人々が集まる都市。特に毎年4月に開催される世界最大規模の家具の見本市「ミラノサローネ」は、1週間で最大45万人が訪れる驚異的な規模を誇ります。しかし、「サローネ」はもともと、イタリアの小さな家具メーカーが始めたもので、他産地からの出展を拒まず受け入れることで成長してきました。いきなり、世界規模を目指すのは難しいので、まずは日本中から徳島に集まってきてほしいですね。他産地からの出展を受け入れ、展示会とオープンファクトリーを同時に行っている地域は日本にはおそらくないので、「来て見てみい、とくしま。」は、その部分を一つの選択肢として考えています。
鷺池さん他産地から出展いただくための第一歩として、まず他産地の企業に「徳島に出展したい」と思っていただかなければなりません。オープンファクトリーと展示会の同時開催は、他産地に先駆けて実施することが重要とは思いますが、そのためにどうするかという課題は山積みですね。それでも、いつか徳島が再び「木工の聖地」となる未来のことを考えると、これからが楽しみです。

掲載日:2025年6月24日 取材者:H・K